2 テレビCMを蝕みつつあるものは?
消費者が1日に触れるマーケティングメッセージの数などといった調査結果を並べ立てなくても(3225メッセージだそうだが)、巷に溢れる広告やブランドロゴの多さを考えれば、その異常さは誰もが感じていることではないだろうか。
広告のクラッター化
消費者があらゆる広告の的となっていることが問題だというよりも、深刻なのはむしろ、消費者側が広告にまみれたコンテンツに愛想を尽かし始めたことだ。
コンテンツと広告との境界線が曖昧になり、以前は許容範囲内だった広告のコンテンツへの侵害は今や消費者にとって許しがたいほど進んでしまった。朝のラジオトーク番組に流れる広告は長く耐えがたく、ラジオ局を変えざるをえない。テレビ番組のオープニング直後の4分のCM枠と次回の予告の直前に流れる連続広告枠は、トイレ休憩用にあるとしか思えず、自然な結果のはずの検索エンジンの検索結果までもがいまや、検索連動型広告に汚染され始めている。
マーケターは、「フリークエンシー」や「想起」などといって、ありきたりのメッセージをいつまでも消費者に送り続けているが、続けていればいつか消費者が屈服するとでも思っているのだろうか。
自称メディア・エクスパート達は、「メッセージの統合化」などという言葉を使って、自分達の作った広告クラッター問題をすり替え、いかに統合されたメッセージで消費者を囲い込みことが大切かを唱えている。
彼らが提唱するシナリオは、次のようなものだ。
【目覚め】ラジオ式目覚まし時計から甘いメロディーに乗って広告も流れる
【目覚めのコーヒー】毎朝ごひいきの新聞に目を落す
【出勤途中】通勤手段により異なるが、新聞、ラジオ、屋外広告などと接触する
【勤務中】バックグラウンドにテレビが流れ、トイレには新聞が積んである。インターネットやラジオへは常にアクセスできる
【帰宅途中】新聞や雑誌を楽しみ、あるいはラジオに耳を傾ける
【帰宅後】いつも楽しみにしていて、はずすことができないテレビ番組を楽しむ
(これでは、メッセージの統合化というよりストーカー行為と呼んでもいいかもしれない。)
現実に起こっているのは、次のようなことだろう。
【目覚め】けたたましい音量でラジオ付目覚し時計にたたき起こされる
【目覚めのコーヒー】コーヒー片手に優雅に新聞を読む暇などなく、せいぜいテレビの雑音が聞こえている程度。ニュースはインターネットでチェックするくらい
【出勤途中】ラジオを聞いているが、コマーシャルになるとチャンネルを替える
【勤務中】ほとんどインターネットに従事している
【帰宅途中】出勤途中と同じ
【帰宅後】300以上あるチャンネルをリモコン操作で流し、何も見るものがないので結局HBO(コマーシャルのないケーブルチャンネル)に落ち着く。
2004年12月に行われた調査会社Knowledge Networksの調査結果によると、47%の視聴者が、番組終了後あるいはコマーシャルをスキップするために、チャンネルを替えると答えている。1994 年の33%から大幅のアップである。これを聞いて慌てたのかニールセン社は2005年10月から1分毎の視聴率集計を始めると発表した。実際のサービス開始が反対意見や作業の遅れなどでどうせ延期になることは目に見えているが、いずれにせよ近々、消費者がどれだけコマーシャルを見ていないかが明らかになるだろう。
仮に見ているという結果が出ても、コマーシャルを覚えているかが問題だ。同じKnowledge Networksの調査では、75%の消費者が、実は「ながら視聴」、つまり、しゃべったり、食べたり、雑誌を読んだり、インターネットをしたりと別のことをしながらテレビを見ているという結果が報告されている。こちらも1994年の67%から大幅なアップである。
図2.1にあるように、広告のリコール率(想起率)は毎年、激減している。2000年までのデータしかなくてよかった、と思う人もいるだろう。
CBSテレビの調査局副社長、デビット・ポルトラック氏は、 DVRが思ったほどの脅威ではないと語った(2004年12月ロイター社情報)。社内調査で、コマーシャルを飛ばしている視聴者でも、平均でコマーシャル2つとブランド1つを想起したというのである。そしてこの結果はテレビ視聴者と同じレベルだと付け加えた。まったく気が狂っているとしか言いようがない。これでは、テレビ・コマーシャルの効果を援護するどころか、いかに効果がないかを暴露しているようなものだ。

それに対して、インタラクティブエージェンシーR/GA社のボブ・グリーンバーグ氏は、消費者の目の前にメッセージを届けるというだけでは、不充分だと唱える。つまり、加えてクリエイティビティーが必要だというのである。だが……。
クリエイティビティー(と言う名の無駄)
たまに大当たりがあるものの、ほとんどの広告は面白くなく、視聴者を引き付けない。マディソン街の最後の砦、スーパーボールも、2004年は不発に終わった。これこそがテレビCMの時代が終わったという事実を強く示唆している。
2005年も全米フットボール協会と連邦通信委員会(FCC)の顔色をうかがった安全パイばかりの面白みのない広告が顔を並べた。テレビCMの時代は終わったのである。
2004年アメリカ広告機構(AAF)のアンケート結果によると、ビジネス上の重要な関心事としてクリエイティビティーがトップに上げられている。図2.2を見ると、2003年度と比べて、クリエイティブへの関心がぐっと上がって来ていて、投資対効果よりも高くなってきていることがわかる。現在、クリエイティブ・ブランディングエージェンシーとメディアバイイングのエージェンシーが分かれていることを考えると、これがいかに危機的な状態であるかがわかるだろう。

消費者は賢くなった
全国ネットのテレビ番組に1回広告を打てば、国民のほとんどに届くという時代はもう終わった。今の消費者は、自分に関係ないもの、必要ないもの、無礼なものにはそっぽを向く。
数年前、10才の甥っ子から何の仕事をしているのかと質問されたことがあった。当時は広告会社に勤めていたのでそう答えると、今度は、コマーシャルの最後に流れる早口言葉と細かい文字は何なのかと聞いてきた。法律上いろいろ規定があるのでそのような免責条項をコマーシャルに入れる必要があるという内情を説明すると、しばらく考え込んでから、なんでそんな嘘をつかなければならないことを仕事にしているのかと言う。なるほど面白い洞察である。テレビを見るよりインターネットやゲームをしている時間の方がよっぽど長い彼らは、ネットからほぼ完璧な情報を得ることができる。マーケターの策略など筒抜けなのかもしれない。
増えつつある広告費の無駄
テレビ・コマーシャルに効果があるという意見もある。そりゃあ、何億ドルもテレビ・コマーシャルに注ぎ込むのだから、売上も上がるだろう。問題はそのうちのどれだけに効果があり、どれだけに効果がないかということだ。
「広告費の半分が金の無駄使いに終わっている事はわかっている。わからないのはどっちの半分が無駄なのかだ」というのは、デパートビジネスの先駆者ジョン・ワナメーカー氏の有名な言葉だ。しかし、100年以上後に、新たな流通ビジネスの先駆者アマゾン・コムのジェフ・ベゾス氏が言った「テレビ・コマーシャルなどにお金を使わないことによって、価格を押さえることができる」という言葉を知っているフォーチュン500レベルの企業のCEOやCMOは何人いるだろうか?
今では広告費のどちらの半分が無駄であることがわかっているばかりか、無駄なのが半分よりもずっと大きいことが判明しているのに、いつまでもワナメーカー氏の言葉が、テレビ・コマーシャル信仰を支えている。
説明責任を問われる時代において、広告費の使い道にコンサルタントや財務部がますます関与しており、情報を流し、説得し、思い起こさせることにテレビCMが本当に効果あるのかという疑問が生まれるのも当然である。