Twitterに広がるカジュアル・ブロック文化

というようなことを知り合いのライターと話していたら、面白い文化がTwitterにあると教えてくれた。「お別れはブロックで」あるいは「さよならはブロックで」という合言葉があるらしい。
Twitterの検索窓で「さよなら ブロック」を検索すると、1日に数千の投稿があり、多くが定期的に自分のポリシーとしてツイートしている。
意味がわかりにくいのだが、相互フォローしているときに、どちらかがフォローを外す。すると外されたほうは、自分に興味を失ったひとのツイートを見せられることになる。これは失礼だから、自分をフォローから外すときには、合わせてブロックもして、自分からも見えなくしてくれ、というポリシー要求のようだ。
しかし、Twitterはそもそも相互承認するシステムではないし、インタレストグラフという言葉が表すように、興味があればフォローし、なくなれば外すということを自由に相手に気兼ねなくやりあうところに良さ・面白さがあるわけで、「お別れはブロックで」流のTwitterはその良さをすべて殺してしまっている。
ずいぶん斬新なソーシャル・ポリシーだとおもって調べてみると、筆者が知らなかっただけで、1年半前にはもう知られている考え方だったようだ。
ここから少し妄想めいてくるのだが、相手をカジュアルにブロックする文化は、前ページで書いたメタ的なプライバシーコントロール情報の繊細な取り扱いの難しさと表裏一体を成しているのではないだろうか。
リストや非表示を活用して繋がりの量を調整するより、友達かブロックかでオン・オフをハッキリ切り替えたほうがわかりやすいし、プライバシーコントロールのメタ的な情報にも気を使わずにすむ。かえって楽だ。そう考える人は意外と多いのかもしれない。
ところで、ブロックは一般的に、相手の問題行動から身を守るために利用される機能なので、多くのサービスでは運営への通報などペナルティと直結している。Twitterでも、ブロックを多用されるとアカウント削除の恐れがあるようなので、お別れはブロック派の方々は要注意です。
カジュアルに相手を遮断するという文化がどこから来ているのか、そしてソーシャルメディアで生活する上でどういう意味を持つのか、面白い課題が2013年に向けて積まれた年末でした。