「Accept」で第三者を取り込み、情報伝播のダイナミズムを生む
さて、次に、Acceptについて簡単に説明しよう。ここには、「受容」に加えて「共鳴」を意図的に配置した。「共鳴」は外部からの振動に対して共振するという意味も持つ。そのため、単なる個人レベルの「共感」に対して第三者のAcceptという行為が加わることによって、大きく振れながら情報伝播の波を引き起こす。その原動力が「共鳴」だ。
この第三者が加わることも大きなポイントだ。秋山隆平氏のAISASモデルでは、広告主企業を第一者とすると、広告を通じて情報を得る消費者が第二者で、その他の第三者はでてこない。AISASの最後のS(Share)のあと、そのShareされた情報を受け入れてくれる第三者についてはモデルに入っていないのだ。
この第三者がモデルに入っていないことで、情報伝播のダイナミズムが表現できなくなっている。もちろん、秋山隆平氏はそんなことは分かっていたはずだが、当時は、その先までモデルに組み入れる必要性がなかったのだと思う。なぜなら、前提として、Attentionが機能していたから、その補完的機能を考える意味がなかったのではないか。
一方で、ヨコのISASの流れでは、意図的に、Acceptする第三者を組み入れることで、第二者から第三者へと情報伝播が起こり、Spreadしていくモデルにしている。Shareの連鎖が人から人に流布していく、あるいは、巡っていくような動的な状況をSpreadという一言で表現している。これは、第三者という他者の存在があるから可能になるし、人間の社会とはそのような第三者がいるのが当然なのだ。
情報伝播のイメージは、無限ループ「メビウスの輪」
ここまで説明してきて察している人も多いと思うが、このヨコのISASは無限に繰り返していくイメージだ。「Interest―Share―Accept―Spread」ときて、そしてまた、Interestにつながっていく。少し話が飛ぶが、文学などで無限の繰り返しの比喩として「メビウスの輪」あるいは「メビウスの帯」という言葉を使うことがある。ご存知の方もいると思う。Wikipediaには「帯状の長方形の片方の端を180度ひねり、他方の端に貼り合わせた形状の図形(曲面)である」と記載がある。私としては、ヨコのISASの情報伝播の様子は、この「メビウスの輪」のような無限ループをイメージしている。
そして、この「メビウスの輪」と並列でよく語られる「クラインの壷」というコンセプトがある。同名の小説もあるので、そちらでご存知の方もいるかもしれない。こちらも同様にWikipediaで調べると「境界も表裏の区別も持たない(2次元)曲面の一種で、主に位相幾何学で扱われる」とのことだが、境目がなくて上から下へ、あるいは、表から裏へと、ぐるぐる繰り返し動いていくような運動を表現するための比喩として使われたりする。
私は、先ほどの「メビウスの輪」をヨコのISASの無限ループの比喩として考えているのだが、ヨコのISASとタテのAISASをつないでぐるぐると回るダイナミズムもあると思っていて、それを「クラインの壷」的な形状でイメージしている。タテのAISASの最後のS(Share)は、誰か他の人(第三者)に受け入れてもらえる可能性がある。ということは、このタテのAISASの最後のS(Share)のエネルギーの流れは、どっかに受け継いでもらわないとモデルが収束しない。そこで、ヨコのISASのA(Accept)につながっていくと考えればいい訳だ。このつながりによって、「クラインの壷」的な上から下、あるいは、下から上のループがうまれて、ヨコISASとタテAISASがそれぞれの方向の無限ループで連動してぐるぐるしていくことになる。「クラインの壺」の動的イメージがよく分かる動画あったので、参考にして欲しい。
そして、このぐるぐるをきちんと戦略的にプランするには、ヨコInterestの「Buzz-Generating Interest」と、タテInterestの「Conversion-Driving Interest」が肝になる。おわかりいただけると思うが、Interestがないと人は動かないのだ。面白いなと思って興味をもって、初めてShareするという動きにつながるし、5%OFFなら安いかも?という興味からSearchして下調べしたりするのだ。
強引に「Attention, Please!」とやってしまう一方的なマス広告的コミュニケーションから脱却して、Interestに寄り添うようなコミュニケーションスタイルに変えていくことが大事なんだと思う。つまり、「AISAS」から「DUAL AISAS」へのモデルチェンジだ。そして、それをぐるぐると回していくようにコミュニケーションプランニングをする。有園式ぐるぐる思考とも言えるだろう。
マーケティング観点で資本主義の運動をモデル化する
ところで、私のぐるぐる思考のネタバラしをしておくと、1980年代にニューアカデミズムの旗手といわれた、浅田彰氏の『構造と力』を下敷きにしている。読んだことがある人には明白だと思うが、近代の貨幣ー資本の運動を浅田彰は「クラインの壺」を使って比喩的に図示する。貨幣ー資本はたえず再投下されて商品を生産し、その商品が流通し売れることによって再び貨幣ー資本に戻るという無限ループを繰り返している。
これは、企業のマーケティング活動によって、資本が商品開発から流通を経て利益を生み出して企業に戻ってくるというループと同じことだといえる。なので、「DUAL AISAS」モデルとは、浅田彰氏のロジックを模倣して、マーケティングの観点で資本主義の運動をモデル化してみただけに過ぎない。とはいえ、私が提唱する「DUAL AISAS」モデルは、業界の大先輩である秋山隆平氏の偉業に、浅田彰氏というトッピングを飾りつけ、私のコンサルティング業務で慎重に活用しているエチュード<習作>の域をまだ出ていない。
本記事は「Unyoo.JP」の記事「いまどきの消費者行動の実態は、AISASからDUAL AISASへモデルチェンジしている」を要約・編集したものです。長編のオリジナルコンテンツを読みたい方は、こちらをご覧ください!
