AI研究の背景にあるリクルートの「リボンモデル」
MarkeZine編集部(以下、MZ):前編では、人工知能(以下、AI)の発展によってマーケティングがどう変わるのかを解説いただきました。リクルートではすでに、データサイエンティストではなく専門知識がない人でも、エクセルを使うくらい簡単に機械学習を組んでAIを活用できるようになっている、というお話は衝撃的でしたね。
石山:当社は優秀なデータサイエンティストが揃っています。ただ、グローバルレベルのAI活用先端企業では常時1,000単位のプロジェクトが回っていますから、そのレベルに行こうとすると、やはり専門職以外の人材もAIを扱えることは必須なんですよね。
MZ:なるほど。後編では、御社のAI研究に対する考えや、研究機関「Recruit Institute of Technology」(以下、RIT)の具体的な活動をうかがいたいと思います。元々石山さんが大学院でAIを研究されていて、入社時から研究所設立の希望はあったということでしたが、そもそもリクルートにとってAI研究はどのような意義があるのでしょうか?
石山:前編で「AIはファネル効率を改善できる」とお話ししました。当社のビジネスモデルは「リボンモデル」といって、ユーザー側とクライアント側の両方のニーズをマッチングさせる、マルチサイドのファネルになっているので、ファネルの改善はレバレッジが非常に大きいんです。当社は紙メディアの時代から、このファネルのKPI管理をかなり綿密に行ってきましたが、AIによって圧倒的に改善できます。それが、AI研究に注力し始めた背景です。
25%を占める海外事業との連携にも米拠点が有効
MZ:先端テクノロジー研究のひとつとしての位置づけから、昨年春に“人工知能の研究所”としてRITを改めて発足した理由、そして11月にシリコンバレーに拠点を移した意図を教えていただけますか?
石山:RIT自体については、現在国内ではトップレベルと自負しているテクノロジー水準をグローバルレベルに引き上げること、そしてAIを既存ビジネスモデルへの応用だけでなく新規ビジネス開発にも活かすことが、設立の理由です。
その段階で、シリコンバレーへの移設は視野に入れていました。それは、グローバルレベルのテクノロジー水準を持っている人材も、新規ビジネスモデルも、同エリアに集積しているからというのが大きいですね。また、リクルートHD自体のグローバル化が進み、今では海外売上高比率が約25%に達しているので、海外のグループ会社との連携にも、アメリカに拠点があるほうがやりやすいこともあります。
MZ:人材採用の基準も、とても厳しそうですね。
石山:そうですね、前提はTOEIC900点以上と、機械学習のPh.D.(博士号)取得。また、論文執筆だけでなくプロダクト開発も行うので、商用レベルのコーディングやビッグデータの取り扱い経験があることですかね。
最後に、いちばん大切にしているのは、アントレプレナーシップ、つまり起業家精神があることです。そして社会を良くしたいという志のある人と、一緒に働きたいと思っています。
リクルート、アカデミック、社会の三方へ貢献する
MZ:RITは、さらに飛躍的にバージョンアップしそうですね。具体的に、どのような基準で研究を進めているのですか?
石山:基本的に、プロジェクトベースで運営しています。そのプロジェクトの選定基準は明確で、リクルート、アカデミック、そして社会のすべてに貢献できるものですね。
MZ:リクルートのビジネスに貢献するだけに留まっていないのですね。
石山:そのほうが、当社のことだけを考えるよりも、結果的に当社にも大きなリターンをもたらすと思っているからです。
アカデミックの観点を加えれば、RITでのプロジェクトが現場の業務改善レベルではなく、グローバルで高いレベルのイノベーションをアウトプットしなければならない、という制約が生まれます。
また社会貢献の観点は、前編で「誰もがAIを使える時代」が来るとお話ししたことに関連します。AIの発展においていちばん重要なのは「皆が使えるようになる」こと。世の中の全員が使えるなら、当然リクルート社員も使えますから、社会という広い視点を持つことで、よりスケールの大きいソリューションを考えられます。
MZ:つまり、世の中の誰もが使えるイノベーションを生み出そうと日々研究しているのですね。
石山:はい、とても難しいお題だと思います。ただし、お題が難しいほど、それに見合う優秀な人が集まりやすいという効果もあるので、その点にも期待しています。
実は、今お話しした“三方への貢献”という条件は、RITのヘッドでAI領域の権威であるAlon Halevy(アーロン・ハーベイ)博士が構築したものです。昨年11月に就任いただいたばかりですが、すでにレベルを押し上げてくださっていますね。
現場と研究所の境なくプロジェクトを推進
MZ:RITの移設に伴い、日本にはRITと現場をつなぐ役割としてRIT推進室が新設され、石山さんが責任者になっています。既存のビジネスとはどのように連携していくのですか?
石山:推進室としては、既存ビジネスを提供する各グループ会社と共同でプロジェクトを運営しています。私たちが横断的にヒアリングしていくと、グループ会社それぞれが持っている課題が実は共通しているケースもあるので、座組は効率的かつ柔軟にしていますね。
MZ:先鋭的な組織でも、中央集権ではなく現場とひざを突き合わせて進めているんですね。
石山:そうですね。単なる業務効率の改善なら中央集権のほうが適当かもしれません。でも、新しいビジネスや手法を生み出すには、皆でアイデアを出し合ったほうがいい。「皆が使える」ことを目指すにも、そのほうが近道です。CGM(Consumer Generated Media:消費者生成メディア)のBtoB版みたいなものですね。
実際、データも機械学習のアルゴリズムも現場にあるので、そこで速くPDCAを回すほうがAIの成長が速い。赤ちゃんが毎日、100km離れたところにミルクを飲みに行かないといけないとしたら、つらいですよね。絶対にミルクは手元にあったほうががいい(笑)。
MZ:その発想は、とてもおもしろいですね!
石山:だから、地産地消の発想のように、現場で育てていく。理想は、誰が研究所の人で誰が現場の人なのか、区別がつかないくらい一緒に取り組むことです。現在、各グループ会社との連携を随時検討しています。
テクノロジー×マーケティングで発見した2つのこと
MZ:RIT推進室はそうやって現場とやり取りしながら、シリコンバレーのRITとも連携していくのですね。
石山:現場でのナレッジは、RIT本体へフィードバックしています。研究者の側も、既存ビジネスにおける実際の問題にインスパイアされて新たな研究のヒントを見つけたりするので、これも大事です。
MZ:ここまでも、かなり近未来の話をうかがってきたように思いますが、改めて今後の展望や、石山さんが今注目している潮流を教えていただけますか?
石山:テクノロジーとマーケティングとの関わりを振り返ると、2つの大きな発見があります。
ひとつは、コンピューターがダウンサイジングして、スマートフォンのような形で個々人に根付いたことです。既存の技術発展のセオリーでは、スーパーコンピューターとして先鋭的に進化するはずが、人間のクリエイティビティーや遊び心によってそれに留まらなかった。個人に拡大したことで、結果的にマーケットのパイ自体も大きくなりました。
もうひとつは、テクノロジーの発展で、どんな人でも起業できるようになったことです。コンピューターが高かった時代は莫大な資金が必要でしたが、技術が汎用化して、PCひとつで起業するエンジニアのファウンダーが登場しました。次いで、デザインで差別化するデザイナーのファウンダーが増え、さらに今はデータ解析を武器とするグロースハッカーのようなファウンダーが出てきています。
自分の中に小さな“ラボ”を持つ
MZ:たしかに、今ではPCひとつあれば誰でも起業家になれる時代ですね。
石山:コンピューターが小さくなって人の手の平に収まり、かつマーケットへの参入障壁が著しく低くなった、この2つの歴史に、マーケティングやマーケターの未来を考える上での重要なポイントがあるような気がしています。
たとえば、マーケターがAIを使いこなせたら、ユニークな価値観や発想を自分でどんどんマーケティング施策へ反映できますよね。それによって新しい市場も生まれるし、多様化も進むでしょう。同時に、マーケターの中でもさらに専門特化した新しい職業が生まれるかもしれません。
MZ:お話を聞くほど、マーケターとAIは深い関わりがあるような気がします。マーケターがこれから生き残っていくためには、どんな力が必要でしょうか?
石山:前編で、直近で必要になるマーケターの能力として、データサイエンティストの採用やデータ自体を生み出す力についてお話ししました。これらに加えて、少し大きな話になりますが、時代を先読みして自分自身の成長を促すことが求められると思います。
先進的な企業のマーケターは、自分自身のセンスで、10年後や20年後の変遷を感じているはず。マーケター自身が心の中に小さな研究所を持っているような意識で、テクノロジーを味方につけて、新しいアイデアの具現化につなげられるといいですね。