さんざん嫌っていたECビジネスで起業!
御手洗
でまあ、個別案件をいろいろと取り扱ったり、InfoseekやSSSというやはり関連のセキュリティ会社にしばらく身を置かせて頂いたり、という感じですごしていました。
水島久光さん(現:東海大学文学部メディア学科助教授)ともこの時期、少しだけご一緒に仕事させて頂きました。
四家
ああ、当時の水島さんはinfoseekマーティング部長ですね。僕は
Web広告研究会でよくご一緒させていただいていました。
御手洗
そうですね。いろいろとマーケティング基礎を教えて頂きました。水島さんのおかげで、マーケティングというものに初めて興味を持ったと。
四家
水島さんには、僕も今でも公私共にお世話になってます。そんな接点があったんですね。
御手洗
で、それなりに自分でやりたい事業の構想はあったので、早く伊藤さんと一緒にやろうと思っていたんですが、あいにく当時伊藤さんの身動きがとりにくい状況になってしまったんですね。それで新会社を始める構想はかなり厳しくなり始めていたんですが、そこで悶々としていたら、伊藤さんが「お金を出してあげるから、会社をやってみなさい」と言ってくれた次第でして。それで会社を作る準備に取り掛かったと。
四家
なるほど。
御手洗
それが99年の夏ぐらいで、事業計画書を書いて、登記とかいろいろと走り回っていましたね。そうしたら、同じ年の年末にはネオテニーの事情もかなり変わっていたんです。
四家
というと?
御手洗
外資のファンドが日本のネット企業投資に踏み込もうとしていました。しかし日本ではシードラウンドにある会社を育てるシステムがあまりないので、投資先に乏しい、と言う問題を抱えていたわけです。そこで、インキュベーターを作ってそこに投資する、という方向に彼らがなりネオテニーがその母体になることになったと。
四家
へー、そうだったんですか。
御手洗
で、私が作った会社も最終的にはそこから投資してもらって、無事99年末には会社としての体をなした、というところです。バックテクノロジーズ株式会社というのが社名です。
四家
なるほどねぇ。で、どんなビジネスを展開されようとしたのですか?
御手洗
昔からやりたかった、コミュニティ関連サービスと、ECサービスをくっつけたようなものをやってみようと。
四家
なんか ここまでのキャリアの集大成みたいですね。コミュニティ+EC。
御手洗
ですね、そういう側面が大きかったと。当時アメリカのハッカー文化に憧れていた人たちって、お金のやり取りを忌み嫌っていたこともありECには冷たかったんですね。それもあって実は僕も元々ECって個人的には嫌いだったんですが。
四家
え、そうなんですか(笑)
御手洗
そうなんですよ(笑)。仕事で3年関わっていたら非常に面白くなってしまったと。
四家
なるほど
御手洗
で、「コミュニティ内で生み出される情報自体は価値があるのに、その情報価値を経済価値に転換するものが無くてサービスが存続しないけど、ここにEC的な要素をくっつけると、うまくいくんじゃないか?」というかなり大雑把な仮説を元に事業計画書を書いたわけです。
四家
おおおお。キターって感じですね。
御手洗
で、レビューサイトのようなものを思いついて、カタログと利用者による評価情報を提供したら面白いのではなかろうか考えたんですよ。当時同じようなことを考えていた人は多くて、
アイスタイルの吉松さんもその1人でしたね。
資本金1000万円が溶けつつも、充実の日々
四家
なるほど。で、実際 起業してみてどうだったんですか?
御手洗
そうですね、正直大変でしたね(笑)。99年の末からはじめて、1000万で会社作ったんですが、00年の夏ごろには溶けていましたね(笑)。もう金策に必死。理想だけじゃご飯は食べられないなぁと現実感たっぷりに思っていました。
四家
当時、そんな話が僕の周りにもいくつかありました。
御手洗
増資も考えたんですが、開始して2ヶ月程度だったので、プロトタイピングの後のテストマーケットがあまり芳しくなかったこともあり、またコミュニティのビジネスは芽が出るまで結構時間がかかるという読みもあったので、資金を入れちゃうと、望まない方向にサービスが向かってしまうかもという不安もあって、なかなか踏み切れなかったと言うのはあります。
四家
まあ、金出すほうも慣れてなかったんですよね。あのころは。銀行系ベンチャーの人から僕のところに相談の電話が来てました。あの会社に投資していいかって。知らんちゅうの。
御手洗
(笑)。そうなんですよ。出資側がネットベンチャーをよくわかっていなかった。で、判断としては受託でノウハウを売りつつ、サービスとしても継続させるというものになったと。
四家
一般のユーザーに自社から直接サービスを提供しながら、受託もやるというのは、一時のはてなに似てますね。
御手洗
そういわれてみると、そうかもしれません(笑)。>はてな。
四家
同じようなところは他にもあったんでしょうね。コミュニティでビジネスをやるにはまだまだつらい時代で。まず凄く単純に まだネット人口足らなかった。そしてインフラが高かった。サーバーや回線コストが。
御手洗
そうなんですよ、その辺が大きな障壁になっていましたね。ただ、今もうちにいる技師長が、アプリケーションデザインのセンスがあって、ASPとしての転用もできるように設計してくれたおかげで、他社のサービスへサーバを一部提供したり、ソリューションすることもできたんです。そんなこんなで、レビューシステムの外販を当時やっていました。あと、コミュニティ運用のノウハウもたまっていたので、当時それを各所にサービスとして提供したりとか。
四家
ちょっと具体的に そのレビューシステムの仕組みをお伺いしてもいいですか?
御手洗
えーと、ぶっちゃけていうと、アマゾンのユーザーレビューとほぼ同じようなもので、カタログが用意されていて、そこにサイトに登録したメンバーがレビューを書けて、そのレビューをほかのメンバーがさらに評価できる、と言う仕組みです。
四家
なるほど
御手洗
それをデジタルガジェットを中心にやったんですね。今のCNETのレビューサイトにあるものの大元が、このシステムです。もうすっかり元のコードはないと思いますが。
四家
ああーなるほど。
御手洗
でもこのサイトの運用は、ノウハウの蓄積には大いに役立ちましたね。当時はまだSEOとかありませんでしたが、プロモーションにお金が使えないので、必死にサイト全体でSEOを考えたりとか、サイト提携のノウハウとか。とにかくサービスをやることは、お金には換算しにくいけど、とても高い価値につながることがよくここで理解できました。こういうところがわかる制作の会社はそんなに当時無かったので、お客さんには重宝して頂きましたね。
四家
そして、苦しいながらも望んでいた「直接性とスピード」「自分の手でビジネスをやっているという実感」を手に入れた。
御手洗
ですね、非常に充実していたと思いますが、一方で相当限界も感じていました。資金的にとか、人材的にというところで。
四家
でしょうねえ。まあ充実しないと限界も感じられないんですけどね。