インプレッション保証型のバナー広告の誕生
杓谷:では、佐藤さんはアサツーディ・ケイ時代はインターネット広告には携わっていらっしゃらなかったのですね。
佐藤:そうですね。1996年4月にYahoo! Japanが立ち上がり、続く6月にYahoo! Japanの広告枠を仲介するメディアレップ(広告媒体サイトと広告主の仲介を行っている事業者。当時は主にインプレッション保証型のバナー広告を取り扱う)のサイバー・コミュニケーションズ(以下、CCI)が、電通とソフトバンクの合弁で誕生しました。
その頃にアサツー・ディ・ケイにYahoo! Japan・CCIが営業に来ていたのですが、彼らの説明を聞きながら、なんとなく自分はデジタルガレージに行って同じようなことをするようになるのかな? とは思っていましたね。
結局1996年10月にデジタルガレージに入り、インフォシークジャパンが同年12月からスタートしました。並行してデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム(DAC)もできました。この95~96年というのは、日本のインターネット広告を取り巻く環境が一気に動き出した時代と言えるかもしれません。
ロボット型の検索エンジンとしてはGoogleより先だった。
当時はインターネットを扱う部署が広告代理店になかったし、セールスの人間もまったくインターネットについてわかっていませんでした。そういうことがわかる人を集める必要性を感じて、それがCCIやDACなどのメディアレップとなっていきました。
当時はなんとかして市場を作ろうという機運が大きかったですね。この頃はインターネットへの接続はほとんどの人がモデムを電話回線につないでダイアルアップで接続していた時期だったので、インターネット自体の利用も一般的にはまだまだといった状況でした。
加えて、ページビューやインプレッション、どういう課金体系にするのか、在庫管理はどうしようか、など、話し合うことは多かったですね。そうして試行錯誤してスタートした中で、インプレッション保証型のバナー広告が出てきました。
Yahoo! JAPANの登場と、CCIやDACなどのメディアレップの存在がインターネット広告の黎明期を牽引しました。今でこそ当たり前になっているインプレッション保証型のディスプレイ広告、いわゆる「バナー広告」が様々な試行錯誤を経て登場したのもこの頃です。
