コンテクストを読み取る力とは?
廣澤:前回、SNSユーザーによる炎上について話を伺いましたが、広告でも炎上するケースを度々見かけます。これも個人の炎上と同じく、発信する側が社会のコンテクストを読み解けていないからだと思っています。
広告主や広告代理店という小社会の中だけで「これはおもしろい」と思いこんだ表現が、世の中へ出てしまっている。社会を読み解く力は、広告主、代理店、メディアすべてに必要だと思うのですが、そこが抜け落ちてしまうのはなぜでしょうか。
高広:社会を読み解くというのは、昔からごく一部の人を除いて実は多くの業界関係者が実践できていなかったのかもしれないと考えています。というのも、「昔は大丈夫だったのに、今はなぜ炎上するのか?」ということではなく、メディア環境が変わり、自分たちの見ている世界以外からの意見をたくさん耳にするようになったということだと思っているので。
違う意見を持つ人がいたとしても、昔はほとんどのメディアが一方通行で、双方向のメディアは存在しなかった。昔のメディア環境では、そもそも「異なる意見を聞く」ということがなかったでしょう。それに比べて今は、反対意見が聞こえてくることも含めて想像しなくてはいけません。
廣澤:特に現代社会では、ポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性)的な視点が重視されているように感じています。
高広:現代社会にはどの小社会でも共通して共有可能なコンテクストと、小社会ごとにしか理解、共有されないコンテクストが存在しており、多層的になっていると思います。この多層的な社会の中で企業が考えたメッセージを出したら、どのようなインタラクションが起きるのか。ある層では受け入れられるものが、他のところでは受け入れられないかもしれない。このことを想像し考える力が、今のマーケターやPR担当者には求められていると思います。
ターゲット外の社会にも目を向ける
廣澤:では、企業はどこまでコンテクストを広げた発信が必要なのでしょうか。コンテクストの読み違えもありますが、ターゲット外からの思わぬ反応もあり、広告を取り下げてしまうケースも出てきており、非常に難しいと思うのですが。
高広:人間は基本的に解釈をしたがる生き物だと考えることですね。しかもその解釈は、自分たちが所属しているコミュニティやコンテクストの中にある「辞書」を参照して行われる。これは物理的な「辞書」ではありません。人々が社会的に関わり合った結果、互いに認識されている言葉の定義の集まり、すなわち「言語空間」みたいなもののことです。
この「辞書」=「言語空間」はそれぞれのコミュニティやコンテクストによって規定されるので、ある言葉やメッセージといったものがその中に放り込まれたときに、意図せざる解釈をされることがある。企業側は「様々なコンテクストを読み取った結果、こういうメッセージにした」というのがあるかもしれませんが、そもそも無意識・無自覚にそのコンテクストが共有されているという前提自体を見つめ直す必要があります。
つまり、現在起きてるような炎上というのはコンテクストを共有できていないから起きていると考えて、ある広告がターゲット外の人のコンテクストに入っていったときに、どのような解釈がなされるのか? それを想像する必要があるということですね。
その上で、他に解釈をする余地がない状態のローコンテクスト(=文脈依存度が低い)な、もしくはハイコンテクスト(=文脈依存度が高い)なコンテンツやメッセージを作るのか? 後者の場合は、自分たちの想定していなかった反応が起きやすいわけで、そのための予防線を張る必要があります。
ただ、ターゲットの周囲にも別の社会・コンテクストが存在し、そこにはターゲット外の人もいる。その人たちにもリーチしてしまうだろうという前提を踏まえたコミュニケーション展開を考えておくことで、炎上は起こりにくくなると思います。
廣澤:デ・マーケティングという考え方がありますが、これは売らない相手を考えることが重要です。本来、マーケティングにおいては、買ってくれる人やコミュニケーション対象者だけでなく、コミュニケーションしない人たちも包摂的に考える必要がありますが、ターゲット外への意識が抜け落ちている企業も多いと思います。ターゲット内外のコンテクストの違いを知り、その上でコミュニケーションを設計することが重要なのですね。