「テレビ」と「ネット」の暗黙の線引き
欧米ではすでに、「テレビ電波CM」と「ネット上のコンテンツ」の取引が明確に区別されている。テレビ電波時代の名門エージェンシー「J.Walter Thompson」の名前が消え、ネット専業エージェンシーであったWundermanとともに「Wunderman Thompson」に名称を変えた。同様に電波時代の「Y&R」が「VMLY&R」に名前を変えたのも例外ではない。マーケティング業界の不文律として「テレビ(の番組、CM)」という単語を極力使わない傾向にある。
かつての印刷業態であった「新聞・雑誌」においては、この「別物」区分がようやく浸透した。10年前の「紙」印刷の購読者と、現在の「デジタル」サブスクリプション契約の購読者の性質はまったく異なる。統計的な読者の重なりや移行を考えるのではなく、取引や接触の仕方が「まったく」違うオーディエンス向けのビジネスに移行したのだ。
出版社と呼んでいた新聞社・雑誌社は、印刷プロセスの中にデジタル入稿と印刷を取り入れたプロセスを称して、「デジタル」出版社と呼んでいた時期もあった。しかし現在は、これらの会社は自社のことを「パブリッシャー」と呼んでいる。「パブリッシャー」の名のビジネスでは、印刷時代の発行部数は、今や彼らのビジネスの基軸ではなくなっている。
つまり印刷や出版と呼ばずに「パブリッシャー」と称する言葉には、自社内の作業プロセスのデジタル化したことを指すのではなく、「特定の顧客とネットで1対1で契約を結ぶ」という意味合いを持つ。この動きが、ようやくテレビ業界にも押し寄せている。
テレビ「電波」の話に戻そう。テレビとは「電波」の意味を含み、新聞社や雑誌社時代の「印刷」に近い重さがある。
「テレビ電波CM」は、依然としてファネルの上部、特に50〜70代の年配層に対しての絶大なる影響力を持つ。しかし広告主とエージェンシーは、このテレビ電波広告ありきのマーケティングやビジネスをしている時点で、たとえば紙の新聞社・雑誌社での印刷時代のようなものを引きずっていることになる。これを「紙」媒体がたどった変化に置き換えて考え、使う言葉を変化させるほうが良い。
いくら同じ映像が「テレビ電波」と「ネット上」の両方で見られるからと言っても、この二者では明確な線引きをする。たとえ映像に映っている商品が同じでも、「テレビ電波CM(セグメント配信)」と「ネット動画(One to One配信)」では視聴者側から見れば「地球人」と「火星人」ほどの違いがある。「テレビCMとネットCMの最適配分」「マルチスクリーン配信」とは、テレビ電波事業主側から見て一括りにした論理である。
業態の変化の兆しをつかめるように、まずは言葉の選択から変化させていく。欧米の新興D2C(Direct to Consumer)ブランドや新興エージェンシーだけでなく、旧ブランドや旧エージェンシーに至っても、自社のWebサイト上から「テレビ」という単語が消えているのに気づけるかどうか。ここが今後のビジネスの変化の行く末を決める、分岐点になる。
