デジタルの向こう側にオフラインの「聖地」を作る
――アナログ・デジタルの果たす役割も、時代に応じて変わってきているのですね。
奥谷:はい。今までのように「テクノロジーが発達したので、とにかくなんでも全部デジタル化しましょう」という話ではないのです。ホリスティックな体験をまず作って、その中にデジタルをどう組み込むか。大切なのはこの考え方です。
デジタル上で人々を惹きつけているコミュニケーションの先には、そのユーザーにしか見えていない世界やテンションの上がるポイントが必ずあります。たとえば前職で無印良品にいた時、クリスマスシーズンに発売されるヘクセンハウス(お菓子の家)のキャンペーンが大きな話題になったことがありました。当時あった有楽町の旗艦店に、ヘクセンハウスをたくさん並べてお菓子の街を作りました。するとユーザーが店頭に来て、写真を撮ってどんどんTwitterやInstagramに投稿してくれたのです。そしてそれを見たユーザーがさらに足を運んでくれました。これはまさに、O to O to O(Online to Offline to Online)という情報の流れと世界観が完成されている例ですよね。
あるいは2019年、オイシックス・ラ・大地では父の日、母の日、そして夏休みと、春日部駅にクレヨンしんちゃんとのコラボ広告を掲出しました。日々の食事づくりに勤しむ方々に向けて、「かあちゃんの夏休みはいつなんだろう。」と問題提起をするような駅貼り広告でした。こちらも、クレヨンしんちゃんやオイシックスを好きな方々が写真を撮ってTwitterに投稿してくださって話題になり、さらに人が集まりました。
前回紹介したランニングマシーン「ペロトン」の例も同様で、いつもはオンラインでしかつながりのないカリスマトレーナーと一緒に運動ができる専用スタジオが「聖地」になり、そこへ行くことがちょっとしたプレミアムな体験になっています。
岡本:オイシックスの例は、生活の中に息づいている「駅」という場に張り出されているのが、とても良いですよね。朝眠たい目をこすって一生懸命子どものお弁当を作った母親や父親が通勤の時にあの広告を見て、心が動く。すると、春日部の駅が「聖地」になるんですよね。
奥谷:そうなんです。デジタルを通じて知ったオフラインの「聖地」にユーザーが好奇心を駆り立てられ、行ってみたくなる。それがさらにデジタルで拡散されて、ファンを生む。するとアニメの「聖地」と同じように、そのブランドにとっての「聖地」が生まれるわけです。OMO時代と言われる今だからこそ、モノや場といったアナログのコミュニケーションとの掛け合わせがうまく機能するようになっているのだと思います。
企業は「メーカー」を脱却し、プロデューサーになれ
奥谷:話は変わりますが、実は無印良品にいたころ、ネット広告をほぼ全部やめてしまったことがありました。もちろん広告運用で結果を出していくことも大切ですが、ネット広告にかけている大量のコストをユーザー体験を豊かにすることに使ってみてもいいのではないかと考えていて。それで無印良品では、デジタル広告の出稿をストップしてアプリ開発と運用コストを捻出し、ネットストアの決済機能の充実やUXの改善、店頭と在庫のスムーズな連携などに使い、ユーザーの使いやすさを追い求めていきました。その甲斐あってか、いまだに無印良品のネットストアはある程度安定成長を続けていると聞いています。
生活者がプレミアムな体験にお金を払うようになっている以上、企業もその設計により積極的に投資していくようになるのは、自然な流れだと思います。盲目的に「デジタル広告を大量出稿すれば、コンバージョンにつながる」と考えているのなら、一度ユーザーの方を向き直して、ユーザーにとって快適な体験を提供するためにコストを投資する方へ、舵を切ってもいいのではないでしょうか。
岡本:奥谷さんはセミナーや講演でもよく「顧客目線とは、生活者に視点を合わせること」と、おっしゃっていますよね。印刷業界で言えば、顧客目線というのは、メーカーの都合で印刷物を大量に配布したり、「最新の機能だから」とテクノロジーを使い、ユーザーに押し付けることではないと思います。
奥谷:もはや企業は「メーカー」を脱却して、プロデューサーになった方が良い。前回お話した、シームレスとフリクションレスの関係と同様に、メーカーとしてプロダクトアウトで商品をメイクすると、どうしても企業都合の押し付けになってしまいます。企業には、消費者に提供するすべての体験をプロデュースしていくという覚悟が求められているのだと思います。