「メディアを運営する」とは
石川 谷古宇さんが編集長として、編集者を育成されたご経験についてもお伺いしたいです。というのも、メディア運営やライティングの仕事がしたいと志す若い人たちと話をすると、目標がふわっとしていると感じることがあるからです。
好きこそものの上手なれという言葉にもあるように、目標に向かい好きなことに取り組むのがいちばんの成長につながると考えているのですが、そういった仕事を目指す動機を実際に聞いても「なんとなくやってみたいと思った」「好奇心で」といった具合なので、どのように育成していけばよいか悩んでいます。
谷古宇 ぼんやりとしてしまうのは、ぼんやりした言葉で考えているからです。物事を分割し、今できることからやっていかなくては、目標を達成できません。たとえばライティングなら、締め切りはいつか、ならば構成案はいつまでに作るか、実際に書き始めるのはいつから、何を、どのように、といった具合に細分化して仕事をしていくでしょう。私もウェブメディアの編集長時代には、「どうやったら良い編集ができますか?」といった質問を受けましたが、ぼんやりとした質問に具体的なアドバイスを与えることは難しいですよね。
だから、まずは質問を具体的にすることから始めてみては、と話します。質問を考えるプロセスには、自分で答えを導き出すステップが含まれているからです。
石川 なるほど、育成においてもテーマを持ってコミュニケーションすることが大切なんですね。たしかに、「なんとなく」や「好奇心で」などの曖昧な言葉では、受けとる側もどのように答えたらよいのか迷ってしまいますよね。今後は、自身のヒアリング能力を向上させつつ、相手に具体的な言葉で語ってもらえるようにしてみます。
一方、個人のスキルアップだけでなく、チーム全体を作っていくことにおいてはどうでしょう。コンテンツは、市場調査や企画、ライティングなど、さまざまな役割を担う人たちの仕事を集約して出来あがるものです。私自身はチームごとに目標を設定し、メンバーにそれを共有してチームづくりをしています。ただ、目標を言葉としてではなく、実際の行動として浸透させるのが難しいと感じています。
谷古宇 チームが向かう先を示すのは、編集長の仕事です。編集長は、個々の編集者とコミュニケーションし、自分たちのビジョンを言葉で示して、何度も繰り返し、その話をしなくてはなりません。その一方で、具体的な記事の話をしたり、構成をチェックしたり、赤入れをするといった編集長としての目の前の仕事を着実にこなしていく。全体としての目標をチームで共有しながら、同時に個々の課題の解決に向かう。このようなジグザグな流れそのものが、まさにメディアを運営するということです。
私が若手編集者だった頃を振り返っても、結局は、目の前のことを1つひとつきちんとやるしかありませんでした。縁があって、ある仕事についたら、とにかくその仕事をきちんとおさめること。それが仕事の基本作法です。そして、仕事を通じて、その会社で培われている文化なり、ノウハウなりを自分の仕事のやり方に取り入れていく。そのためには、その会社がどんな会社か、どのような仕事の型があるのかを見極めることが大切です。
つまり、「守破離」ですね。型通りに動き、破るところまでいって、離れるしかない。最初の型を、どの会社、あるいは誰から獲得するかを自分で見極めなくてはいけないし、会社側にもできればそのことを説明する余裕が欲しいところです。
加えて、新人を指導する編集長に求められるのは、彼らのメンターとして認めてもらえるような仕事をすること、彼らのキャリアを支援できるような仕事の型に磨きをかけることです。
石川 谷古宇さんのようなクリエイティブ・ディレクターになり、チームの課題を解決する編集を行えるようになるには、経験を積み重ねていく必要があるんですね。すると、目標をチームに浸透させるという課題においても、その問題点を細分化し、段階的に解決していくしかないのでしょうね。
私が担当するメディアチームは、プロとして活躍していきたいライターや編集者が多いです。その中でライターや編集者に求められるのは、好奇心をもつことだと感じています。ライターや編集者は仕事の性質上、政治経済、エンタメ、文学などさまざまな分野と接する機会があります。普段の日常生活からいろいろなものに好奇心をもち、常にアンテナを張っておくことで、どのような分野の仕事が舞いこんできても、予備知識を持って挑むことができます。
谷古宇さんにとってライターや編集者に求められるであろうことについて、考えをお聞かせいただきたいです。
谷古宇 私は編集工学研究所で6~7万冊もの本に囲まれ、それらの膨大な「知の集積」の隙間で日々コツコツと仕事をしているわけですが、常に感じているのは「ここにある1冊1冊の本はすべて、どこかの編集者によって編集されたものなのだな」という感慨です。
1冊の本が編集されるには、複数の本が参照されなければなりません。複数の知恵のエッセンスが新たなひとつの知恵となって、私たちの前に提示される――。そんなことを私たち人類は数千年間繰り返してきました。おそらく、今後も同じことを延々とやり続けるでしょう。
この気の遠くなるような営みにおいて重要なのは、「編集」という行為の意味です。
凄まじい量の情報を前にして、私たちは常にその中の「何か」に注目し、それを「取り出し」ます。先ほどお話ししたように、情報のインプットとアウトプットの「間」の作業を行うわけです。情報の中の「何」に注目し、それをどのように「取り出すか」を深く考える過程において、私たちは多くの場合、目の前にある情報とはまた別の情報をフックにします。そして、情報と情報の間にある新しい「何か」を発見していく。それが「編集」という行為の意味なのではないでしょうか。
インターネットは私たちが接する情報の「性質」と「量」に大きな変化をもたらしました。そして、スマートフォンは私たちに情報との新しい接点を提案しました。控えめに言って、私たちは、日々、想像を絶するほどの膨大な量の情報にさらされています。この情報の「海」を、編集の余地がいくらでもあるデータの「山」と見立てると、編集者には今後もやるべき仕事がたくさんあると言えるのではないでしょうか。
石川 本日はありがとうございました。
谷古宇 こちらこそありがとうございました。
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