個別最適な教育の実現に、毎日の登校は必要か?
有園:なるほど。では少し、この自粛期間を振り返りたいのですが、3月から学校が休校になりましたよね。私の家にも2人小学生がおり、私も妻も普段からリモートワークなので、この時期は過去にないくらい長く家族で過ごしていました。もちろんお子さんがもっと小さかったり、リモートワークが難しい人などはシビアな期間だったとは思いますが、我が家に限っては、むしろ贅沢だな、と。で、ポイントは、ふと「学校って毎日行く必要があるのだろうか」と思いまして……。
吉田:それは重要な問題ですよね。選択肢としては、あっていいと思います。
有園:そうですか! そう考える人が政府にいるというのは、意外ですし、ありがたいです。
吉田:いや、当たり前ですよ。とはいえ少し説明は必要だと思っていて、まず、家にこもるのが1~2週間なら有園さんのような意見もけっこう多いでしょうが、いつまで続くかわからない中での自粛や、それがニューノーマルとして定着するときの教育の在り方は別途考えるべきだと思います。それとは別に、学校教育が必ずしも対面であるべきかというと、そうではなくてもいいのでは、と。対面とリモートが組み合わさることが大事だと思います。
そもそも、我々が端末の一人1台環境を進めたのは、個別最適な教育ができるようにという考えからでした。リアルかバーチャルか、中身も進度も選べるような教育を想定しています。
有園:なるほど。では、ちょっと強引に話を振りますが、たとえば現在の公的な教育の仕組みをいったん解体して、一人につき教育費3,000万円を国費で出すとします。小中学生の間の義務教育は、国に教育する義務があるという意味だから、その間に使える費用を個人に預ける、わけです。
いわゆる既存の学校に行ってもいいし、オンラインの私学を受講してもいいし、国を超えてもいい。個別最適な教育を政府が推進するなら、方向性としてはなくはない?
吉田:義務教育の在り方としては別途きちんと整理すべきと思いますが、個別最適な教育の目的には合致していると思いますね。個人としても理解できます。

教科を単元に分けてコード化すれば民間の参入が広がる
有園:仮に、もしもそうなった場合、どのような観点や条件が生まれると思いますか?
吉田:まず、国費で実施する義務教育である以上、一定の成果は確保しないといけない。ある子どもがいくらプログラミングに長けていたって、図工や音楽に触れたことがないという状態を良しとはできません。やった上でできないとかは全然かまいませんが、義務教育の期間に国費で実施する以上は、各教科の機会を保障する必要があると思います。
個別最適は、児童期のいっとき強い興味を持った領域に特化することとは違うなと、直感的に思いますね。ただし、決められた単元をどのような順番・進度で進めていくかは個人にあわせられるようにする。今まさに文科省で、学習指導要領をきちんと項目別にコード化する検討を開始しています。これは、教科をアンバンドルする、バラバラにすることにつながります。たとえば今、紙を含めて様々な副教材が「〇〇社の国語の教科書に対応」といった形でリリースされていますが、それをもっと項目別に細分化し、コード対応する。国語のこの単元はコードXXで、これに対応するコンテンツは学校の授業とA社の教本とB社の動画と、みたいに引っ張ってこられる構図です。
有園:それ、めちゃくちゃ革新的じゃないですか?
吉田:そう思いますね。実現のためには工夫が必要ですが、個別最適な教育を実現するひとつの手段だと思います。学ぶべきことは完全に体系化され、コード化されている。そして私学や民間企業もそれに対応したコンテンツを用意できる。
有園:もはや、市場ですね。“オープン”というキーワードが浮かびます。そうやって体系化される一方、個人のIDにひもづいて「誰が何を受講したか」を把握できれば、先ほどおっしゃった各教科の機会も担保できますね。
吉田:個々人の学習ログ、教育ログの話ですよね。子ども自身も、各プラットフォーマーのIDを幼少期からもってもおかしくないので、それらを活用して、国民IDと紐づければ生涯の学習記録を蓄積できる。履修状況と成績だけでなく、図画や動画作品のアップなども可能でしょう。