想像していた広告会社とは違う仕事からスタート
MarkeZine編集部(以下、MZ):菅さんは総合広告会社の朝日広告社からキャリアをスタートされていますが、なぜ広告会社に就職したのでしょうか。
菅:元々絵を書いたりするのが好きで、なんとなくクリエイティブな仕事がしたいな……と呆然に考えていたので、絶対に広告会社に行くと決めていたわけではないです(笑)。ただ、広告を扱う雑誌を刊行する出版社が主催する広告学校に通い、クリエイティブディレクターの佐々木宏さんや岡康道さんなどの講師のもと、コピーや絵コンテなどを出していました。
加えて、広告の歴史も勉強していく中で、広告には新しい生活スタイルや価値観を世の中に提案する力があることを学び、そういった広告が作りたいと広告会社を志望するようになりました。
MZ:元々はクリエイティブ職志望で入社されていたんですね。でも、最初の配属は営業じゃありませんでしたか?
菅:おっしゃる通りです。最初は仙台支局の営業部に配属されました。正直、配属になるまで広告会社に営業がいることも知らなかったし、営業が何をするのかも理解していませんでした(笑)。
MZ:営業がいることも知らなかったというのは驚きました(笑)。クリエイティブ職とのギャップは非常に大きかったと思うんですが、順応できましたか。
菅:いえ、最初は全く適応できませんでした。今となっては笑い話ですが、住んでたアパートのドアに「俺は営業だ」と貼り紙をして、会社に行く前にそれを見てスイッチを入れてました。
地方勤務での営業経験が今のプロデューサー思考を鍛えた
MZ:営業時代の経験が今に活きている部分はありますか。
菅:現在大事にしているプロデューサー思考の原点は営業時代に身に付きました。しかも、東京じゃなくて仙台の配属だったのが非常に良かったと考えています。
東京の場合は、各クライアントの営業部に配属されて修行の身となり、仕事の部分的なサポートからスタートします。一方で地方の場合、クライアント向き合いはもちろん、テレビスポットの線引き(広告プランの策定)から企画書の作成、イベントの進行管理、ときには絵コンテの制作まで、領域を越えて自分で手を動かしてマネジメントするのが基本精神でした。
BICPが目指す、最高・最適な組み合わせ=「ベストインクラス」の考え方は仙台時代の経験がなかったら生まれていないんじゃないかなと、本気で思いますね。
MZ:広告会社を志望する学生の中には、菅さんのようにクリエイティブ職志望だったけど営業になってショックを受ける人もいるのかなと思いますが、そういった人にアドバイスはありますか。
菅:営業に配属になったからと言って、クリエイティブをやりたい思いは捨てなくていいと思います。与えられた仕事をこなしていくと、営業などの仕事にもクリエイティビティが必要であることがわかるはずです。
営業やストラテジックプランナーなどは職能でしかありません。コピーなどで価値観を伝えなくても、クライアントの商品・サービスが新しい価値を伝えるためにできることはきっとあるはず。目的となるWhyが変わらなければ、仕事内容のHowが変わっても気持ちは充足されるはずです。