SHOEISHA iD

※旧SEメンバーシップ会員の方は、同じ登録情報(メールアドレス&パスワード)でログインいただけます

おすすめのイベント

おすすめの講座

おすすめのウェビナー

マーケティングは“経営ごと” に。業界キーパーソンへの独自取材、注目テーマやトレンドを解説する特集など、オリジナルの最新マーケティング情報を毎月お届け。

『MarkeZine』(雑誌)

第106号(2024年10月号)
特集「令和時代のシニアマーケティング」

MarkeZineプレミアム for チーム/チーム プラス 加入の方は、誌面がウェブでも読めます

私のキャリア

「流し」のCMO、マーケターの新しい働き方に挑戦中

 広告・マーケティング業界で活躍する人物の職業人生、キャリアを伝える本連載。今回は、マーケターの久保田夏彦氏を紹介する。ナイキジャパンで、Nike.jpやNIKEiDを立ち上げ、以降も同社の先進的なマーケティングをリードしてきた久保田氏。アダストリアへの転職を経て、現在は独立。多様な企業のマーケティング課題を解決する「流し」のCMOとして活躍している。久保田氏が歩む、代理店でもコンサルタントでもない、マーケターの生きる道を聞いた。

※本記事は、2021年8月25日刊行の定期誌『MarkeZine』68号に掲載したものです。

“初めて”ばかりだったナイキ時代

久保田 夏彦(Natsuhiko Kubota)氏

 1970年生まれ。大学卒業後、オージス総研に入社。1996年にナイキジャパンへ転職し、Nike.jpやNIKEiDの立ち上げ、ナイキ原宿のオープンなど、様々なプロジェクトに貢献。2016年からは、アダストリアでマーケティングの統括やDX推進に関わり、2019年に独立。一般社団法人渋谷未来デザインを中心に、企業のマーケティング支援に関わっている。

──はじめに、これまでのキャリアを教えてください。

 新卒で入社したSIerのオージス総研を経て、1996年にナイキジャパンに転職しました。前職ではプログラマだったため、ナイキではまずシステム部に配属され、アプリ開発やデータ整備に携わっていました。そんなとき、Nike.jpを立ち上げる話があり、責任者の社内公募に手を挙げたんです。そこから、マーケターのキャリアが始まりました。その後は、NIKEiDやECサイトNIKE.COMの立ち上げなどのデジタル施策だけに留まらず、店舗運営やインフルエンサーマーケティングなど、20年間ナイキの様々なプロジェクトに関わってきました。

 2016年にはアダストリアへ転職し、2019年に独立。今は一般社団法人渋谷未来デザインのプロジェクトで、多様な会社や人たちとコラボレーションしながら、渋谷の街の課題を解決する仕事をしています。具体的には、渋谷区公認のEC「シブヤ・ファミリーセール」や、渋谷のスマートシティ実現に向けたデータコンソーシアム事務局の運営を手がけているところです。他にも、複数の企業のマーケティング支援を行っています。

──Nike.jpがスタートした2000年前後は、デジタルを取り巻く環境が大きく変わる渦中でした。

 ナイキジャパンは、日本の中でも先進的にデジタル施策を進めていた企業でしたね。アメリカでスタートしたNIKEiDも、世界で2番目に導入しました。それでも当時は、デジタル領域に割く予算の確保が難しかったことを覚えています。「デジタルがきそうだぞ?」という気配をみんな感じているのですが、マーケティングの仕事といえばCMや広告を作ることが仕事で、デジタルは「若い奴らが集まってガチャガチャやってる」というくらいの扱いでした。だから、最初の予算は少なかったですよ。デジタルの施策がブランドにとってどんな意味や価値があるのか、誰もわかっていない中で、その重要性をプレゼンしていかなければならない時代でした。

 組織もハッキリと固まっておらず、海外のナイキのホームページ担当者たちも、情報システムやマーケティング、直営店の部署とバラバラに所属しており、ようやくマーケティング部に落ち着いた経緯があります。僕自身も、マーケティングや広告の仕事をするとはまったく考えておらず、興味もなかったのですが、そんな成り行きでマーケターになりました。マーケティングの体系的な知識がない中、助けてくれたのはテクノロジーの理解と知識でした。僕が「kubotech(クボテック)」と呼ばれているように、テクノロジーを知っていたことが、マーケターとしてのキャリアを支えてくれたと思います。

 とはいえ、とにかく現場に立ちながら勉強をし続ける日々でしたね。特に、東京のマーケティング担当時代に関わったナイキ原宿は、初めてのオフライン施策でした。海外の主要都市にはナイキタウンと呼ばれるようなエリアがあるくらいなのに、なぜか東京にはない。ブランドのエクスペリエンスを届けるフラッグシップこそ、東京に作るべきでしょうと計画が始まりました。

 大きなウィンドウから店内が見えるデザインを内装でどう活かすか? など、店舗運営から商品開発まで、仕事をしながら学んでいきました。当時は、ナイキのブランドの勢いが落ちていたこともあって、ナイキ原宿からゲームチェンジを図ろうと、オープニングキャンペーンにも注力しましたね。ECの立ち上げもNikeRunClubなどのコミュニティ作りも、実際に手を動かしながら。中でも一番印象に残っている仕事は、渋谷区と一緒に進めた宮下公園のプロジェクトです。

この記事はプレミアム記事(有料)です。ご利用にはMarkeZineプレミアムのご契約が必要です。

有料記事が読み放題!MarkeZineプレミアム

プレミアムサービス詳細はこちら

MarkeZineプレミアム for チーム/チーム プラスをご契約の方は
・こちらから電子版(誌面)を閲覧できます。
・チームメンバーをユーザーとして登録することができます。
 ユーザー登録は管理者アカウントで手続きしてください。
 手続き方法の詳細はこちら

次のページ
アダストリアへ転職、そして独立

この記事は参考になりましたか?

  • Facebook
  • X
  • Pocket
  • note
関連リンク
私のキャリア連載記事一覧

もっと読む

この記事の著者

マチコマキ(マチコマキ)

広告営業&WEBディレクター出身のビジネスライター。専門は、BtoBプロダクトの導入事例や、広告、デジタルマーケティング。オウンドメディア編集長業務、コンテンツマーケティング支援やUXライティングなど、文章にまつわる仕事に幅広く関わる。ポートフォリオはこちらをご参考ください。

※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です

この記事は参考になりましたか?

この記事をシェア

MarkeZine(マーケジン)
2021/08/27 06:30 https://markezine.jp/article/detail/37047

Special Contents

PR

Job Board

PR

おすすめ

イベント

新規会員登録無料のご案内

  • ・全ての過去記事が閲覧できます
  • ・会員限定メルマガを受信できます

メールバックナンバー

アクセスランキング

アクセスランキング