なぜスポーツはナショナリズムに結びつきやすいのか
さて、ではなぜスポーツはナショナリズムに結びつきやすいのか。
本来のナショナリズムとは、19世紀初頭、当時唯一の国民国家フランスのナポレオンに蹂躙(じゅうりん)された欧州で、フランスに追いつくために国民国家を作り出すための運動原理であった。

国民国家とは読んで字のごとく、「国民のいる空間を領土として統べる政治体制」である。もともと存在しなかった国民を育成することが国家の急務であった。いうまでもなく、国民とは、基本的に「国語」を話す「国民の自覚」を持った者のことである。そのために、「国語」「歴史」「体育」教育を骨子とした「国民教育」が開始された(イタリアが統一された1870年代には、イタリア半島でイタリア語を解する人は3割程度であった)。体育で兵役に耐えうる人材を育成する中で、国民の自覚が生まれるのである。
しかし、一旦国民国家が完成すると、ナショナリズムの運動原理という機能は、国家の拡大に向かい「帝国主義」が出現した。この段階では「国威発揚」がナショナリズムと同義語になり、この中でベルリン五輪は生まれたのである。
オリンピック開催国の未来に待つもの
第二次世界大戦後、ナショナリズムは厭戦気分の中で「拡大」機能を捨て、「自己確認」という衣装をまとう。2回目のお色直しである。しかし、国家が未成熟であれば、いまだに「国威発揚」は重要な問題であり、スポーツはそこで重要な役割を果たすことになる。
それは、スポーツこそが、現代では堂々と「ナショナリズム」を謳える貴重な機会であるということを示しているのである。そしてそれを支持する企業は、「ナショナル」な企業としてPRができる。
興味深い事実が2つある。1934年の第2回Wカップは、ムッソリーニのイタリアで行われた。1936年がベルリン五輪。そして第二次世界大戦の勃発によって中止になったが、1940年の五輪開催は東京に決まっていた。いずれも全体主義の国家である。
2つ目は、全体主義国家と五輪開催との関係である。ナチは五輪開催の9年後に崩壊しており、ソ連はモスクワ五輪開催の同じく9年後に崩壊している点。単なる偶然ではあろうが、北京五輪開催の9年後、2017年に何が起きるのか…、ここから先はいうまい。口は災いの元とか。「クワバタオハラ」…じゃなくて、クワバラ・クワバラ。
