宇多田ヒカルの楽曲の宣伝を25年間担当
江端:梶さんは宇多田ヒカルさんのデビュー当初から一貫して宣伝を担当されています。まずは梶さんのこれまでのキャリアについてお聞かせください。
梶:私が26歳で新卒3年目くらいの時に宇多田が15歳でデビュー。その時から宣伝担当を任されました。当時、プロモーションの手法などは何も知らなかったので、CDを大量に抱えて日本全国のラジオ局・クラブを駆け回ったのを覚えています。宇多田のプロモーションは25年担当し続け、その間に日本コカ・コーラとAIの楽曲「ハピネス」のタイアップにも携わりました。今は宇多田ヒカルといきものがかりを担当しています。
江端:ずっと同じ方が担当するのはめずらしいのでは?
梶:そうですね。宇多田のチームの場合、プロデューサーの三宅彰さん、ディレクターの沖田英宣さんも含め、「Automatic」の頃から変わらず一緒に歩んできました。
そもそも宇多田は、自己プロデュース能力が非常に高く、自分がすべきことを客観的に見ることができるアーティストです。情報発信やファンとのコミュニケーションにも自ら積極的に取り組んでくれています。私たちは「本人がすべきと思うこと」を実現できる環境づくりにフォーカスしています。
江端:アーティスト起点なんですね。
梶:ですね。ただ、すべて本人の意向で進めれば良いわけではなく、必要なリスクマネジメントもしっかりとします。「これをやると、こうなる可能性もあります」と説明をし、宇多田も含めたディスカッションができるチームなのでここまで続けてこられたかなと思います。
デジタルならではの“共感が共感を呼ぶプロモーション”
江端:宇多田さんがデビューした当時の音楽業界では、フィジカルな媒体での流通やオフラインのプロモーションが主流だったと思います。現在ではデジタルにシフトしているのでしょうか。
梶:宇多田はポジションが確立されている上にファン層も幅広いアーティストなので、オンラインもオフラインも活用した「全方位型」のプロモーションを行っています。
ただ、音楽市場全体でいえば、まだ完全にデジタル配信にシフトはしていないものの、サブスクサービスの登場などにともないCDなどのフィジカルの比率は大幅に減少しています。CDの取り扱い自体を終了する店も増えてきましたし、販売チャネルも実店舗よりECが大きく伸長している状況です。
また、以前は私も含めて多くの業界関係者は「デジタルだけで音楽は売れない」と思っていました。しかし、コロナ禍を通じて、デジタルだけでヒットする曲が数多く登場するようになりこの考えは大きく変化しました。
当社の例でいうと、wacciの「別の人の彼女になったよ」は、発売後数ヵ月経ってから、YouTubeのMVに寄せられた一人の感動的なコメントをきっかけにデジタルで大ヒット。現在では、2億回再生されています。決して狙ったわけではなく、楽曲の質の高さとそれに共感した一人のユーザーの強いコメントがさらに多くの人の共感を呼び、ヒットに結びつきました。このヒットはデジタルならではのものですね。
このできごとをきっかけに、「これからはデジタルだけで売れる時代だ」と考えるようになりました。ファンのエンゲージメントをデジタル上でつくり、それが徐々に広がって数ヵ月後に拡散につながるといったプロモーションが主流になっていくのだと思っています。