賢すぎることの危うさ
福里:ところで、先週ACCの審査会があり、私はフィルム部門の審査員をやったんですが、いや~最近の若手は賢い! 審査員は、年齢でいうと私が上から3番目くらいでしたが、「みんな賢いな~」と感心して帰ってきましたよ。
藤平:「賢い」というのは、どういうニュアンスの形容ですか?
福里:まったく悪い意味ではなく、心から褒めているんです。でも、「賢い」というのは良いことである一方で、先ほどの話で言えば、普通の感覚とズレがちな面もあると思うわけです。世の中そんなに賢い人ばかりじゃないので、AIもあまり使っていない年長者としてあえて言えば、「大丈夫なのかな、みんなこんなに賢くて」と。

「賢い」が行き過ぎると、「こうすれば世の中を動かせる」「こうしてこうすると、世の中はこう反応するんだ!」みたいな、広告がちょっとゲーム感覚的な、ギャンブル的なノリになるなと思っていて。それにあまり賢く考えたら、広告も楽しくないものになりかねないし、世の中の人々も仕掛ける側のそういうノリを察し始めているのではと。
藤平:福里さんは数々の名CMを生み出されていますが、このCMに世の中はこう反応するだろうみたいな、バズを狙うような下心は全然ないですか? たとえば、CMに宇宙人とかゴリラを登場させたら、いま絶対バズるでしょ、みたいな(笑)。
福里:その感じはね、まったくないんですよ。事実、宇宙人ジョーンズなんて、最初の1年間くらいは鳴かず飛ばずでしたから。エネゴリくんは、「元気よくウホウホ言うゴリラがいたら、誰かが喜んでくれるんじゃないか」と。いずれも何も計算できていません(笑)。
藤平:なるほど(笑)。AIによって、人間がますます賢くなっていく中で、今の話は忘れないようにしたいです。「仕掛ける側の目線ばかりにならない」「計算しすぎない」「リアクションをハックしない」といったことなのかなと思いました。
AIを「どう使うか」の手前の想いと向き合うこと
藤平:そろそろ締めに入ろうと思います。福里さん、企画とAIの話を行ったりきたりする時間でしたが、いかがでしたか。
福里:結局、企画屋って、自分が得意なことを見つけた人がうまくいっているように思います。そこで大切なのは、自分で自分の得意分野を自覚していない可能性もあるということです。
AIの話で言うと、AIを見事に使いこなして、すごく良い広告が作れるのであれば、それは素晴らしいことだと思います。一方で、AIを使うと、元々の自分よりダメになってしまう人もいるかもしれませんよね。

たとえば、同世代のCDに澤本嘉光さんがいますが、澤本さんは、若い頃に今のAIがあったらものすごく上手く活用されたんじゃないかなと思います。完全に私のイメージで話していますが、元々AIっぽいところがある人なので。逆に、高崎卓馬さんは文学チックな人だから、そもそもAIを嫌いそうです。
つまり結局は、そういうこと(AIを使うほうがその人らしい・良い企画になるか・またはその反対か)になるんじゃないでしょうか。
藤平:いきなり「AIをどう使うか」で話し始めるのではなく、その一歩手前の“そもそも”を考える。本当にその通りだなと思いました。手段を“ありき”にしてはダメですよね。
この連載では「人間 with AI」の構図で、AIとの向き合い方をポジティブに考えてきました。今日発見できたのは、そもそも「人間 with AI」の心地よい構図を見立てる必要があるということです。その上で、最終的にはやはり、自分にしか作れないものや専門性と向き合っていく必要がありそうだなと……賢そうなまとめをしてしまいましたが(笑)。
福里:結局は、楽しく企画していたいですしね。
藤平:はい、楽しく企画して、世の中が楽しくなるといいなと思います。福里さん、最終回にふさわしいお話をありがとうございました!
■シンプルにためになったポイント
・人生を過ごしてきた中で培った「その人の眼」はAIにはないもの
・AIを使って企画はよくなるのか、窮屈になるのかという視点
・人間は「賢い」ではない価値を追求することが重要になる
・マーケティングもクリエイティブも楽しくやることを大切にする
■次に気になっていること
・これからの時代のマーケターやクリエイターの専門性は何なのか
