BtoBの専門業界でも「ブランディング」は必要?
田中:横河電機について、理解したかったことが1つあります。IA(インダストリー・オートメーション)の業界でなぜブランディングが必要なのか、ということです。横河電機は、元々プラントの測定器の会社ですよね。そこから業務を拡張し、プラント全体をコントロールするIAの領域に出てこられたと理解しています。業態や領域を拡大させていく中でブランディングが必要となったのでしょうか?

瀬戸口: IA領域では、海外のプレーヤーを中心に激しい競争が繰り広げられていました。主要プレーヤーは、シーメンス、ABB、ハネウェル、エマーソン、そして横河電機です。
こうしたプレーヤーとの競争も大変だったのですが、IA領域でもDX、AI、IoTなどが勢いづき、ITプレーヤーとのクロスオーバー領域が出現し、単に個々の製品・サービスを納品するだけでなく、プラント全体を統合管理するビジネスパートナーとしての役割が求められるようになっていきました。そうなった時に、ますます競争が激しくなっていったんですね。そこで、個別の製品、サービスの強みだけを訴求するのではなく、会社としてのビジョン、あるいは考え方をまとめるような包括的なブランド活動が必要になったというわけです。
田中:横河電機も日本では有名だけど、海外では日本のようにはいかないですからね。「Yoko…Who?(ヨコ何とかって誰?)」と言われることもあったと聞いています。そういう意味で、IA業界ではコーポレートブランディングが必要だったのですね。
15年前の日立製作所、大赤字~再建を振り返る
田中:続いて西田さんは、日立製作所とキヤノンというドメスティックなメーカー企業でコミュニケーションを担当されていました。今日は、日立が「ソーシャルイノベーション」という企業コンセプトを打ち出された時のことを少しお聞きしたいと思っていました。
2009年当時から日立は、重電大手の中では体質改善という意味で画期的な動きをしてこられました。一時は危機的な状況に陥ったにも関わらず、現在は時価総額で日本トップクラスの企業に変貌しています。
西田:皆さんご存知の通り、日立製作所は2009年、メーカーとして当時史上最も大きな赤字を記録しました。古川一夫社長退任の後、川村隆社長の時代は赤字からの脱却に向けて徹底的なコスト削減が実行され、オフィスの蛍光灯を昼休みに消すとか、備品の文房具を節約するなど、細かいところまで徹底されていました。しかし、我々宣伝部門は、どちらかというとお金を使う側にいます。「いかにお金を使わずに効率的に宣伝活動を行うか」を考えて活動する日々でした。

その後東日本大震災もあり、社内外で大きなダメージを受けていた中、本格的に企業コミュニケーションを立ち上げようとなったのが2012年9月です。この時に、我々のコアコンピタンスは何だろうかと考え始めました。そうして「社会インフラをITで動かす」という本質に行き着きます。それをまとめる言葉として「社会イノベーション」という言葉を作ったという経緯がありました。今思うと青臭いかもしれませんが、本当に必死で議論した結果だったのです。
では、社会イノベーションとは何か――社内では「日立が持つITの経験値と、電力システムや鉄道などの社会インフラを動かし制御するOT(Operational Technology)を掛け合わせ、社会にイノベーションを起こしていく」という言い方をしていました。「ITとOT」、この2つを掛け合わせられることが自社の強みであると定めたわけです。
今思うと、その通りだなと思いますし、先見の明があったなと思います。しかし、当時はまだ正直ピンと来ていなかったんですよ。社会イノベーションという言葉を作ったのはよいものの、正直、「そんな大げさなことを、一民間企業の日立が言っていいのか?」と思っていました。
田中:なるほど。IBMさんがeビジネスと言い始めた1997年頃は、どうだったのですか? こちらもかなり時代に先駆けたコンセプトだったと思うのですが。
瀬戸口:そうですね。eビジネスは元々は「ネットワーク・セントリック・コンピューティング」という考え方でした。ところが、この従来のIT的な表現では、なかなか市場での理解が進まなかったのです。
その時、マーケティング・ブランディングの外部パートナーから出てきたのが、eビジネスという言葉だったと聞いています。そこからいわゆるITの世界に留まらず、世の中一般的に多くの方々に影響を及ぼす「eビジネス」という言葉でコミュニケーションを広げていきました。
田中:コーポレートブランディングは、時代に先駆けるコンセプトが出せるかどうかが一つのポイントになるのかもしれませんね。意外とここまで長くなってしまったので、以降の本題は、後編にてご紹介しましょうか。後編でもよろしくお願いいたします。