2025年、「知能とは何か」に向き合った
──2025年は振り返ると、どのような年でしたか?
2025年は、やはり「AI」が大事なキーワードだったと思います。かつて、スマホの普及率が高まった頃と同様に、この技術革新をどう捉えるか様々な意見が見られました。私はこの1年、AIを単に機能的な側面から見るのではなく、「そもそも知能とは何か」という観点から考えるよう心掛けてきました。
そこでたどり着いた1つの定義と、そこから見えてくる戦略やマーケティングの本質について、お話ししたいと思います。
私が至った結論は、「知能とは、認識の中で世界を再構築する能力である」ということです。
人間であれば、主に五感を通して世界を知覚し、それを頭の中で再構築することで世界を認識しています。たとえば、この会議室にある机。私たちはその表面の肌触りを知覚し、そこがオフィスであるという環境の文脈を読み取ることで、「これは木目調だけれども、実際には木ではないかもしれない」あるいは「これは会議用の机だ」と認識します。
もし生まれて初めてその机を見たとしたら、単に「木だ」と思うかもしれません。しかし、私たちは「本物の木なら木目のパターンは繰り返されない」といった過去の経験や、「オフィスに本物の木の机があるのは稀だ」という文脈の知識を持っています。
これらの経験の蓄積が、頭の中で再構築される世界の「確からしさ」を高めているのです。さらに、「会議に使われる」「食事をする」といった、未来の可能性も含めて世界を理解しています。これが頭の中で、すなわち認識の中で世界を再構築するということです。
では、機械だと何が起きているのでしょうか。彼らは五感を持ちませんが、センサーや文字入力といったインプットとプロセッサーを持っています。つまり、彼らも与えられた情報から「相手が何を言っているのか」「何が問題なのか」という世界を再構築しているのです。
こと人間は、二次体験を含めて経験を再構築の材料にしていると言えます。しかし、「未来」に関しては、知覚情報はあまりありません。それにも関わらず、「こうなりたい」「こうしたい」というビジョンを描ける。現状の知覚情報で再構築された世界とは「異なる世界」を頭の中に構築できること。これもまた、重要な知能の役割であると思います。
聞けば何でも答えてくれるAIが登場したことで、「知識や経験がなくても何でもできるようになる」という言説もあります。しかし、「知能=世界の再構築」であると捉え直すと、やはり再構築するための「材料」は自前で持っていたほうがいいでしょう。材料がない状態で、解像度の高い世界を作ることは難しいからです。
「バイアス」は知能の不可避な副産物。AIはそれを映す「鏡」になる
では、AIは素晴らしいのか。人間もAIも世界を再構築しているという点で同じですが、情報収集の量と処理速度を考えると、AIのほうがより偏向の少ない世界を再構築できる可能性が高そうです。かつ人間の場合は、世界の再構築にあたって、ほぼ直感に近いようなレベルで経験を参照する「認識の自動処理」をしています。
経験則や直感に基づいて、時間や労力を節約しつつ、ある程度正解に近い答えを素早く見つけ出すための自動処理は、「ヒューリスティクス」と呼ばれています。
このヒューリスティクスのおかげで、限りある能力でも複雑な世界を素早く処理できます。たとえば、初めて電車の改札を通る際には、考えざるを得ないし時間もかかるものですが、経験があれば、何も考えずとも自動改札を通れるものです。
しかし、その副産物として生まれるのが「バイアス」です。一般にバイアスは「偏見」としてネガティブに捉えられがちですが、私はむしろ「知能の不可避な副産物」であり、知能の発揮に必要なものだと考えています。
つまり、 固有のバイアスこそが個々人のユニークな知能に濃密につながっているのではなかろうか、と思うわけです。その個性の中には、特定の時代に特定の企業に勤める人に共通しているバイアス、なんてものもあるかもしれません。
それに対し、 AIは身体性や生存本能に基づく一次体験を持たず、彼らの世界構築は比較的「バイアスフリー」です。ここがおもしろい点です。AIはバイアスを持たないがゆえに、人間のバイアスをあぶり出すための「鏡」としても使えます。
