2.最先端企業へのインタビューから見えた取り組み:コンテンツカードの利活用と「Empathy at Scale」
Forge 2025では、Braze Japanのカスタマーサクセスのメンバーの尽力により、Erewhon、e.l.f. Beauty、Sephora、Chewyといった企業のデジタルマーケティング担当者と、1時間ほどの個別インタビューの機会が設けられました。
このセッションでは、各社がデータ基盤、ロイヤルティ戦略、そしてチャネル間の統合をいかに実現しているか、という生々しいインサイトが共有されました。
筆者がここ数年注目しているデジタルマーケティングの最先端企業のマーケティング実行者の話を聞けるのは大変貴重な機会です。NRF(全米小売業協会)やShoptalkといった小売業のCレベル(経営役員層)が集うイベントにおいて、登壇者に直接アプローチし、個別に話を伺うことは困難を極めます。待ってでも質問したい気持ちはあれど、次のセッションへと向かう必要もあり、英語ができても実現することはなかなか叶いません。
Brazeのカンファレンスがまだ小規模であるということもありますが、だからこそこのようなコミュニケーションの場を提供してくれたBraze Japanのメンバーに感謝の意を表したいと思います。

ここからはインタビューセッションからの学びを紹介したいと思います。
コンテンツカードの利活用:e.l.f. Beautyの事例
筆者が特に興味を惹かれたのは、e.l.f. Beauty(エルフ・ビューティー)がアプリ内でのパーソナライズされた常設型訴求チャネルとして、Brazeのコンテンツカードを活用しているという事例です。
コンテンツカードは、モバイルアプリやWebサイト上で画像とテキスト、リンクなどを組み合わせたカード形式で情報を表示する機能です。プッシュ通知やメールと異なり、常設性があることが特徴です。顧客にとっては、該当画面を訪問するまで情報として残しておくことができ、ブランドはユーザーの行動履歴や属性に応じて表示内容を変えるパーソナライズを実現できます。
e.l.f. Beautyは、Snowflake上に構築したCDP「Hightouch」を中心にデータを統合し、そのファーストパーティデータに基づき、Brazeを通じてコンテンツカードを配信しています。具体的な活用例として、「新製品ローンチのお知らせ」「限定セール案内」「スキンケアのHow-toチュートリアル」などの事例を紹介してくれました。これにより、従来のプッシュ通知やメールといった一斉通知だけでなく、より顧客体験を重視した“常設型の訴求”が可能となり、クリック率や購入コンバージョンの向上に成功しているとのことでした。
さらに興味深い点として、e.l.f. Beautyはロイヤルティプログラム会員が購入の80%を占める強力な顧客基盤を持つ一方で、オフラインで購入されたレシートスキャン業務の一部を手動で処理しているということです。この取り組みを筆者は日本の小売業の方に体験してもらうことを米国で何度かやってきました。
正直このような作業を手作業で行っているということには衝撃を受けました。しかしこのような取り組みは、たとえ技術的な自動化が未熟であっても、顧客接点を維持しデータを収集するという企業姿勢、人件費が高騰し、AIの利活用が当たり前になっている米国においても、依然として良い意味でアナログなやり方をしてでも顧客体験を実現している生々しい事例と言えるでしょう。
ここまで米国の最先端テクノロジー活用した事例を解説してきましたが、日本企業の皆様には、テクノロジーはもちろんですが、米国でも真の顧客体験の創出のためには人手を使うことも厭わない、顧客との約束を果たすことに懸命に努力と行動を惜しまない。そのような揺るぎない姿勢を学んでいただきたいです。
感情と文脈の活用:Sephoraの提言
Sephoraのオーブリー氏が共有したマーケティング戦略の方向性は、Forge 2025全体のテーマを象徴するものであり、今後のマーケターにとって最も重要な示唆を含んでいます。
Sephoraは、モバイルメッセージング戦略において、未開封のメールがたまる最悪の顧客体験をいかに回避しリテンションを最大化するかを考え、アプリプッシュ通知、SMSといったコミュニケーションチャネルのバランスを取ることに注力しています。その戦略の核心として、以下の2点が強調されました。
・「データのためのデータではなく、感情と文脈を創造するデータ活用」
・「CRM/MA/店舗チーム間のサイロを壊す、“Personalization = Empathy at Scale”」
Sephoraは、ロイヤルティプログラム「Beauty Insider」において、店舗とデジタルの購入データをBraze経由で統合し、行動トリガーやジオターゲティング、そしてAIレコメンドを活用しています。彼らが目指すのは、単にデータを集積することではなく、そのデータに裏打ちされた感情的なつながりを顧客と築くことです。
「Personalization = Empathy at Scale(パーソナライゼーション=スケールする共感)」という概念は、技術を通じて顧客一人ひとりのニーズや感情を理解し、大規模に共感を提供することを目指す、Brazeが描く顧客エンゲージメントの理想像そのものを体現しています。
Empathyとは共感という意味ですが、Sympathyという言葉も存在します。この違いについて少しここで解説しておきたいと思います。二つの単語は同じように見えますが、Empathyとは他者の立場に立ち、感情や動機を「自分のことのように」感じ取ることとされています。つまりマーケティング文脈においては消費者と“共に体験を創る”姿勢。CX(Customer Experience)やコミュニティ型マーケティングに直結するように思います。
一方で、Sympathyとは、同情・共感(感情的理解)、つまり他者の感情を「理解」し、「かわいそう」「よかったね」と外側から感じることのように思います。このSympathyの発想では消費者を“ターゲット”として見る発想、もしくは少し媚びたコミュニケーションの実践に近いように思います。結果として、広告主から消費者への一方向的なメッセージ伝達になりがちです。
宣伝会議主催の販促コンペで長年ご一緒している嶋浩一郎さん(博報堂DYホールディングス)は、広告コミュニケーションが「説得」や「印象操作」から「共感共創(Co-empathy)」に変化していると指摘しています。嶋さんの発言を私なりに理解するとSympathyマーケティングは広告主が「感動させる」「泣かせる」などの演出で共感を“演出”している、一方でEmpathyマーケティングは、企業が消費者の文脈や生活世界に入り込み、「共に感じる」体験を作ることを目指していると言えるでしょう。
デジタルマーケティングにおけるパーソナライゼーションもEmpathyの創出が求められているのです。
ちなみにペットフードのサブスクを展開するスタートアップであるChewyも同様に、AIを活用したパーソナライゼーションを推進する一方で、「押し付けにならない設計」や「倫理的境界の明確化」を重視し、人的判断を組み合わせたEthical Personalization Modelを構築していると語っていました。技術が先行する時代だからこそ、共感と信頼(Empathy and Trust)を維持することの重要性が浮き彫りになったように思います。

