データ戦略の要諦:「疎結合」と競争から共創への転換
小売企業が自社データだけでリテールメディアを完結させるには限界がある。そこで重要になるのが、外部パートナーとの連携だ。杉原氏は「疎結合(Loose Coupling)」というキーワードを使い、様々なパートナーと柔軟に緩やかに繋がっていくマインドセットの重要性を説いた。

その象徴的な例として紹介されたのが、The Trade Desk(TTD)の事例だ。米国では小売トップ企業のほとんどがTTDのデータプールに参加し、データを共有している。競合他社と同じプールにデータを入れることに抵抗感を持つ企業も多いが、杉原氏は「失うものより得るものの方がはるかに大きい」と断言する。
「自社の手の内(詳細な顧客リストなど)を明かすわけではありません。安全なデータプールの中でID連携を行うことで、精緻なフリークエンシーコントロール(広告接触回数の制御)が可能になり、ブランドにとって魅力的な配信環境を提供できます。これは『競争』ではなく『共創』の起点です。データを囲い込むのではなく、オープンマインドで活用することで、ビジネスの可能性は大きく広がります」(杉原氏)
コンテンツへの投資も忘れてはならない。広告収益を優先するあまり、ユーザー体験を損なうような広告表示を行えば、メディアとしての価値は毀損し、ユーザーは離れていく。「有益なコンテンツありきで、そこに広告がある」という順序を厳守することが、持続可能なメディア事業の条件だ。
ブランドの未来戦略:「投資」としての活用とAIへの備え
最後に、広告主であるブランド(メーカー)側への提言と、AI時代の展望が語られた。
ブランド側への最大のアドバイスは、リテールメディアへの出稿を「単発の販促費」ではなく「投資」と捉えることだ。棚取り、認知、売上のすべてに影響する投資として、中長期的な視点で「Always-on(常時出稿)」を基本戦略に据えるべきだと杉原氏は語る。
また、意外と見落とされがちなのが「商品情報(コンテンツ)の整備」だ。広告で流入を増やしても、商品詳細ページ(PDP)の情報が貧弱であれば購入には至らない。商品画像、説明文、レビューなどのコンテンツは「棚での勝率」を上げる武器であり、広告出稿以前に取り組むべき必須事項である。
そして、リテールメディアの未来を左右するのが「AI」の存在だ。現在はクリエイティブ生成やチャットボットなどの「使うAI」が主流だが、今後は「AIエージェント」が消費者に代わって買い物をする時代(エージェンティック・コマース)が到来する。
「LLM(大規模言語モデル)がユーザーの要望を聞き、商品を比較検討して購入まで代行するようになれば、人間がリテールメディアを訪れなくなる可能性があります。その時、小売企業はAIに対してデータをどう提供するのか、あるいは自社のAIエージェントを窓口にするのか。この『AIへの対応』は、将来的にリテールメディアの根幹を揺るがす大きなテーマになるでしょう」(杉原氏)
リテールメディアは単なるブームを超え、小売とブランドの関係性、そして消費のあり方そのものを変えるインフラへと進化しつつある。日本市場特有の壁を理解しつつ、中長期的な視点で「メディア」としての価値を磨き上げることができるか。小売・ブランド双方にとって、覚悟と戦略が問われるフェーズに入ったと言えるだろう。
