Q クロックスとはどのようにして出会いましたか?
何回目かのブランドハンティングで、ハワイにあるアパレルブランドの社長を訪ねたときのことでした。
「シゲオね。アパレルブランドがアパレルにロゴかしてどうすんの? そんな事だったら、うちの商品を日本で売ってほしいね。ところで昨日、ハワイに初上陸した面白いサンダルがあって、店で今日から売っているんだけど、どう? 気持ちいいよ。買っていきなよ」と奇妙なサンダルを紹介してくれたのです。
見ると、「13日の金曜日」に出てくるジェイソンのマスクの様なルックスでした。ボテッとしていて、とてもかっこ悪い。だけど履いてみると、とても気持ち良かったのでさっそく購入してみました。
その後しばらく履いているうちに、「自分の様に変わった消費者が10人に1人位買ってくれるかもしれない」と、マッチメーカーとして日本の流通に紹介してみようと思いました。これがクロックスとの出会いです。
Q その後、どのようにしてクロックスジャパンを設立したのでしょうか?
買ったクロックスを履いてみると、あまりにも気持ちよかったので、マッチマーカーとして紹介するのではなく、自分で販売してみたくなってしまいました。そこで、アメリカの本社に代理店権の交渉を始めたのです。
副社長が来日して面接が行われたのですが、調べると既にアウトドアショップの代理店が販売しているということ分かり、戦法を変えることにしました。
まず、クロックスの代理店が日本にいくつもあっては値段のたたき合いになるし、プロモーションにも力が入らない。そのため、代わりに私が日本にクロックスジャパンを設立することを提案しました。
限られたセグメントだけでの販売にとどまらず、日本全国のいろいろな業界に拡販・統制できる強みを主張しました。私は、どの業界にも入り込んでいないため何に縛られる事もなく、逆に強みとしてどこにでも入り込める訳です。
その後、採用されることになったのですが、後になって他にも4人程候補がいた事を知りました。なぜ私を選んだのかと訊ねたら「君を選んだのは情熱と行動力だ」との回答が。どうやら見ていたのは私のプレゼンではなかった様ですが、いずれにしろ自分の強みである、行動力が大いに発揮された瞬間でした。
Q アーリーステージでの社員採用は難しいと思いますが、クロックスジャパンでの採用はどのように行いましたか?
まず、2005年7月に日本の支社を登記し、2ヶ月位は1人で活動をしていました。
社員採用にあたり何人もの友人に声をかけましたが、どうなるかもわからない、認知度のまったくないクロックスという商品のために、今抱えているものをすべて捨てられる者はそう簡単には出てきませんでした。
ほとんどの既婚者は「自分は興味あるのだけれど、妻に相談したらだめだった」と。人は妻、子供、ローン、地位、安定した収入、会社の看板、と守るものが増えてくると冒険できなくなりますよね。仕方ありませんが、それが一般的だと思います。
しかし、私が常に思うことは、死ぬ時にやってよかったと思って死にたい、子供には自分の力で生き抜く過程を見て勉強してもらいたい、安定よりもハイコントラストでエキサイティングな人生を歩みたい、ということです。
採用活動を続ける中で、賛同する人が1人、2人と出てきました。当たり前のことですが、1人で仕事をしていると100%すべての作業を一人でやらないといけません。今までは、既に組織ができあがった会社でしか働いたことがなく、自分は営業さえやれば、業務をしてくれる人がいて、経理をしてくれる人がいました。すべて周りに支えられていて、自分は歯車のほんの1つの凸でしかなかったのですね。いや、実際には凹の時もあったと思いますが、そうした回りの人が居て当然の環境だったので、有難味が薄れていたことに気づきました。
社員という仲間が増えた時のうれしさやありがたさは本当に限りなく、周りの人の気持ちを本当に大事にしたい、彼らを幸せにしてあげたいと心の底から思いましたね。
クロックスジャパンは日本支社という形でしたが、本社から金銭的サポートはありませんでした。そのため、本社からローンとしてお金を借りましたが、まったく足りせんでした。6か月は自分のポケットマネーで給料を払い続けていましたが、そのうち社員が「この会社やばい」と噂し始めました。
でも、皆よく付いて来てくれました。その頃の社員は、私がクロックスを辞めるまでは一人を除いて皆辞めませんでした。