3月11日、日本中の空気が変わった
そして、2011年3月11日。日本中の空気が一変するなか、広告主企業にとっても苦悩の日々が続いた。すべてのテレビCMがACジャパン(旧・公共広告機構)のCMに差し替えられたからだ。鹿毛氏はその状況の中で何ができるかを考え続けた。そのとき、「消臭力」の主力工場は原発から100キロ圏内にあり、操業停止となっていたという。
3月15日の朝、「小さな子供たちが歌をうたっている」イメージが浮かび、すぐに動き始めた。制作会社に相談したところ、「それはエステーのトーン&マナーではない」と言われたという。「ストライクゾーンを外したときには消費者を傷づけることもある。そのときはストライクゾーンが見えなくなっていた。でもすぐCMをつくらなければならない」という思いに駆られていたという。「あの震災で、家族を失ってお葬式を出した人たちに、なにか微笑んでもらえるものをつくりたかった」(鹿毛氏)。
ミゲル君との出会い
3月23日、ポルトガルで撮影することが決まった。テーマは「日常に戻ろう」。撮影地のリスボンは、1755年の震災で約6万人が亡くなっていた。そのリスボンで、ミゲル君に出会った。
最初は歌がうますぎると異論があったが、鹿毛氏が「ミゲルが主役だ」と決断。帰国して編集作業に入り、4月22日に放送した。このCMを放映することでどんな反応があるかわからなかった氏は、「怖かった。もしも何か起きたら会社をやめなきゃいけないんだろうなと思っていた」と、当時の胸の内を明かした。
彼の歌唱力が会場を圧倒。最初からミゲル君はミゲル君だった。
しかし、このCMは予想を超える大きな反響で迎えられた。その後も、ミゲル君がミュージシャン西川貴教のライブで共演するシーンを1分間のCMとして放送。その月のCM好感度1位となった。そのときはライブが終わってすぐにプレスリリースを出し、ステージ上で西川氏もツイート。あらかじめネットニュース関係者にも通知していたため、結果的にYahoo! トピックスでも取り上げられた。感動を波及させるための手を、鹿毛氏はきっちり打っていたのだ。
「エステー宣伝部ドットコム」 では、ミゲル君が出演したCMの動画や、制作秘話などをたくさん紹介しています。
ネットのネタは、ほぼテレビから
氏は最後に、自らのネット戦略についてまとめ、「ネットのネタの8割くらいはテレビじゃないですか。僕はソーシャルはミニコミだと思っています」と語った。現在、鹿毛氏のツイッターのフォロワーは1万人。そこでは、学生を叱ったり、就職活動についてアドバイスをすることもあるという。「こうしたやりとりから生まれるムーブメントもある」と言う鹿毛氏は、ソーシャルメディアを論調づくりの場として活用している。
「僕はネット展開を考えてCMをつくっている。ソーシャルで論調づくりをし、最終成果はネットです。そして今度はネットからテレビにひろげようとしている」という鹿毛氏。冒頭で述べたように、氏の中ではネットもテレビも分断することなく、メッセージを波及させることへとつながっているのだ。
鹿毛氏は最後に福島中央テレビで放送された映像を流した。エステーのCMソングのひとつ「力に変えて」を歌った福島県立光南高校合唱部をミゲル君がサプライズ訪問し、一緒に歌を歌うドキュメンタリー映像だ。上映後に静まり返る会場。それを見た氏は多くを語ることなく、静かにステージから姿を消した。
福島県立光南高等学校の文化祭で合唱部が「チカラにかえて」を披露し、拍手喝采を浴びたというニュースがツイッターを通じて鹿毛氏に伝わり、企画されたミゲル君のサプライズ訪問。そのもようは「勝手にエステー宣伝部」で見ることができます。