分業ではなくチームで作業を進める

――作品づくりで苦労された点は何ですか?
武田氏:チームで作品のアイディア、世界観を言語化して共有する際のコミュニケーションの難しさを最初に感じましたね。アイディア出しの段階では、各々の好きなものや作りたいもの、よいと思うアイディアもバラバラだったりして、お互いに共感を得られずに苦労していました。
ただ、BAPAの授業を受けていく中で、「アイディアを咀嚼する」という事を学んでからは、アイディアの本質的な良い部分と悪い部分を言語化できるようになり、チームの中での話し合いも円滑になっていきましたね。自分の意見に無駄に固執することがなくなり、意見が衝突した際のジャッジも早くなっていったと思います。
そのように最初に遠慮のないやり取りをして、製作作業においても自身の能力の範疇に無い事までも意見できるような関係になり、メンバー全員が製作の全ての工程において100%貢献できていました。最初から最後まで分業せずに、メンバー全員が作品にフルコミットできたのは良い経験であり、BAPAの特徴だと思います。
また、僕たちはコンテンツとして動画を用意する必要があったので、映ってくれる女の子を渋谷で探しました。とにかく、これが一番大変でした。100人くらいには声をかけたのではないでしょうか。毎週末、真夏の暑い中チームメンバーで女の子に声かけて、散々断られて、やっと出演してくれる子に出会えて撮影をする。
そして、夜から編集を始めるという作業の流れでした。休日はこのように動画の製作作業に追われるので、デザインや実装などは平日夜に行いました。これも大変でしたね。素材作りから最終アウトプットまで全てを自分たちで製作するという、今となっては途方もない作業だったと思うのですが、これもとても良い経験でした。
――高橋さんのチームはいかがでしたか?
高橋氏:作品の狙いがストレスフルな場所を心地よい空間に変えることだったので、心地よい音でなければなりません。ですが、歩行者すべての行動を音にしてしまうと、ただの雑音になってしまいました。この調整に試行錯誤をしましたね。最終的には、音数をしぼって、白いバーが通過した所のみを音に変換することで問題を解決しました。
また、作品をどこに着地させるかの見極めも議論しました。はじめはウェブ上でも「○○RHYTHM」のように、個人のリズムをつくれるようにする事も考えました。しかし、制作を進めて行くにつれて、限られた期間と予算と自分たちの技量を考えて、優先順位をつけざるをえない状況になりました。そこで一番クオリティーを高められるために、何を省いて何を残すかについて話し合いました。作品がよいかたちで着地したのは、藤原惇さんと南陽平さんという、とてもすばらしいチ—ムメンバーがいたからだと思います。

また、高橋さんたちはBAPA卒業後もMASS RHYTHMとその世界観をブラッシュアップし、
同作品で世界三大アワードのひとつOne Showで受賞もされています。
感情を揺さぶるコンテンツへの道のり

――講師の方からは卒業展示のコンセプト固めに皆さん、苦労されたと聞いています。お二人はいいかがですか?
高橋氏:私たちは、講師のインタビューでも触れていただきましたが、1回目の打ち合わせから、コンセプトは変えていません。チームの3人共、過去に音楽活動をしていたこともあってか、音楽をつくるという方向に自然と進みました。ただ、先ほども触れた通り、そこからどこに着地させていくかが見えず、イメージをつくっては壊していく事を繰り返していました。
着地点がイメージできなかった理由として、講師の方に「交差点のどの部分を抽出して、どんな意味や感情を伝えたいのか」があやふやであると指摘されました。ここをより具体化していく必要があったので、休日は常にチームで交差点をずっと観察したり、無駄に何度も交差点を渡ったり、映像を撮ったり、海外の人の反応をリサーチしたりしました。
その中で、1日約50万人が行き来する交差点は世界で類を見ないようなカオスであることの凄さや、個々の統一性のないファッションや、多くの人々が交差点を一斉に渡って一斉に止まるという動きには、日本ならではの規律性があることに気がつきました。国によっては赤信号でも止まらないこともあるようで、驚きを感じるようです。私たちにとっては、なんでもない風景が渋谷の文化財になりうると改めて気づくことができました。
武田氏:僕たちのチームは作品のコンセプトが固まるまでが比較的長くて、本当にギリギリまで企画が変わりました。ただ、全企画を通して貫いている点もあります。それが、渋谷のわかりやすいシンボルを企画の軸にしないということです。
交差点やハチ公など、渋谷ならではのモノはたくさんあります。そういったものをモチーフにすれば、表面的な渋谷らしさを表現することは可能です。ですが、時代と共に変化していく渋谷のカルチャーや歩いている人々のキャラクターなど、多様性や変化のある街の姿にある「渋谷っぽさ」の方が現在進行形の、まさに「渋谷の今」を表現するに相応しいと考えていました。そこで、僕たちは渋谷の新しいカルチャーを生み出す若い女の子にフォーカスして、それを企画のベースに作品にしようと決めました。
この方針自体は比較的早い時期には固まったのですが、今の作品になるまでが長かったです。つくっては、やり直しての繰り返しでした。毎回動画づくりから行なう必要があるので、最後は本当にカツカツだった記憶があります。
例えば、いろいろな女の子にウインクしてもらって、動画でつなげていくという作品をつくったりもしました。けれど、講師からの評価は「意味がわからない」など、結構ボロボロで結局つくり直しになるという感じです。いま振り返れば、インタラクティブ性や、人の気持ちを揺さぶるという点が弱かったのだと思います。