問われるメディアの信頼性
押久保:今、広告・マーケティング領域では、改めて「デジタル広告の信頼性」が問われていると感じます。昨今では広告そのものの信頼性をという話はもちろん、広告の「掲載場所」であるメディアへの信頼性に対する言及も起こっています。
そこで今回は、石井さんと渡辺さんにお集まりいただき、広告主およびメディア双方の立場から、現状についてどうお考えで、これからどうしていくべきかについてお話を伺っていければと考えております。
石井:花王の石井です。1980年に入社後、8年間の販売現場を経て本社に戻り、「メリーズ」や「ロリエ」「ビオレ」「アジエンス」などのブランドマーケティングを手がけてきました。その後デジタルマーケティングに移り、約13年間デジタル業界に従事した後、今年1月にデジタルマーケティングセンターのセンター長を退任し、今はシニアフェローという立場で関わっております。
渡辺:日本経済新聞社の渡辺です。当社は2010年3月「日本経済新聞 電子版」を創刊し、現在は有料デジタルメディアとしてそれなりの規模まで成長を実現できています。今年はさらにダイナミックなメディアビジネスを展開するため、組織体制も大きく変え、読者と広告主の両方の期待に応えていきたいと考えています。
押久保:ありがとうございます。早速ですが昨年来、メディアや広告の信頼性を問われる出来事が相次いでいます。これをどうご覧になっていますか?
石井:デジタル広告には二つの大きなメリットがあります。第一にテレビよりコストが安いこと、第二にデジタルの特性としてターゲティングしやすいという点です。そのため、我々を含め広告主は、効率的に手っ取り早くターゲットにリーチできるということで、刈り取りに向かってしまいました。しかしこれは、マーケティング本来の目的から外れていると思うんです。
マーケティング本来の目的は、市場を拡大して売上を上げていくことにあります。しかしデジタルの世界では、顕在的な需要を刈り取ることに注力し、「PVがある」「数多く獲得できる」というメディアを中心に投資を重ねるようになってしまいました。
本来なら、「当社の製品を買わない人に、何をどう伝えていくか」「市場からの声を次の商品開発にどう生かすか」を考えるべきなのですが、やりやすいことに目が行ってしまう。こうした広告主の姿勢が、昨年末から続いている問題の温床になっているのではと感じます。
押久保:渡辺さんはいかがお感じですか。
渡辺:弊社の観点からだと今年に入って大きく二つの点が変わりました。一つは「日本経済新聞 電子版」の有料会員が50万人を超えたこと。私は社内で「キャズムを越えた」と言っています。つまり一過性の流行りで課金ができているというわけではなく、定着しスケールも担保できるようになりました。
もう一つはフェイクニュースをはじめとした「メディアの信頼性」の問題。やはり信頼できる「場所」つまり「ちゃんと読者とエンゲージメントできる場所が求められはじめた」と感じます。コンテンツマーケティングもそれがない場所でやっても期待する効果につながらず、むしろヘンなことが起こる可能性もありリスクが高いことが顕在化しました。
マーケティング本来の目的に原点回帰
押久保:「信頼できるメディア」というテーマについては、後ほど改めて議論したいと思います。さて、石井さんは先ほど「マーケティング本来の目的」ということで、市場を拡大するために「買わない人にも伝えていく」「お客様の声を生かす」という取り組みに目を向けるべき、とおっしゃいました。こうした活動は、いわゆる従来型のマスマーケティングの中でどう取り組まれていたのでしょうか。
石井:花王は確かに伝統的なマスマーケティングがうまく、ブランドの認知度や売上にマスを活用してきました。
ですが、今はお客様の価値観が多様化し、一つの製品やブランドでお客様のニーズに応えられる時代ではありません。そのため今は、お客様を小さなクラスタ化、いわゆるスモールマスとしてくくり、どのクラスタのお客様にどんな商品が求められているかを探り、提案するという小さなユニット単位の広告マーケティングを展開しています。このやり方は、本来のマーケティングの姿だと思うんですよ。
私は「マーケティング=魚屋」と思っているのですが、昔の魚屋さんは、お客様の顔を一人ひとり覚えていて、頭の中にある購買履歴をもとにお勧め商品やメニューの提案をしてましたよね。
時代が移り、そこからマスマーケティングの時代になりましたが、再び時代はデジタルで、「最適なお客さんに最適なタイミングで最適な提案をする」となってきている。むしろマスマーケティングが特殊だったのではないでしょうか。
押久保:それは面白い指摘ですね。テクノロジーがない時代から、マスの時代へ、そしてテクノロジーが普及したことによって、本来のマーケティングに原点回帰してきたと。
石井:はい。お客様が自分に合うものを欲しているのなら、このやり方が普及するのは当たり前ですよね。ただ、そのやり方をフェイクニュースやアドフラウドでダメにするようなことがあってはならない。私たち広告主側は、この市場を正当に拡大していく使命があると考えています。
渡辺:石井さんのお話は興味深いですね。実は私がデジタル事業に移った10年以上前、「デジタルの本質は何か」という議論が盛んでした。国内の大手デジタルメディアを中心に、「ネット(デジタル)はマスに変わる存在となる」という見方も盛んでしたが、私たちは一つの結論として「One to One」だと考えました。
つまり「誰がどんな記事をいつ読んでいるのか」を把握することで、より良いコンテンツ作りにつながるのではないか、と。そのため、当時私が在籍していた日経BPでも、積極的にユーザーIDを取得してデータベース化していきました。
時々「新聞を読むのに、なぜIDが必要なのか」と聞かれるのですが、最終的にOne to Oneが実現できるプラットフォームになれるかどうかは、メディアにとってとても重要なポイントだと思います。
顧客の期待を裏切るフェイクビュー
押久保:今の流れでお二人に伺いたいのですが、先ほど「信頼できるメディア」という言葉が出てきました。信頼できるメディアを作るために、広告主側、メディア側は何が必要なのかをお聞かせください。
石井:PVは多いがユーザーの“顔が見えない”メディアに対して広告を投資し続けるスタイルは、もはや限界に来ていますし、それが今日のデジタル広告の信頼性の低下を招いた一端と言えるでしょう。
ではどうすれば良いかというと、それはお客様が「知りたい」と思うことと、広告主が「理解してほしい」と思うことの間を取り持つ、信頼できるメディアに投資することが必要なんです。
押久保:信頼できるかどうか、どのように見極めるのでしょうか。
石井:いろいろありますが、やはり大前提として「これを伝えたい」と、一本筋が通っているメディアであることですね。風向きによって、メディアのスタンスや哲学がコロコロ変わるようでは、信頼は得られません。人と人との関係でも意見をコロコロ変える人と信頼関係は築けませんよね。それと一緒だと思います。
もちろん広告主側は、伝えたい内容や情報によってメディアを選別していく必要があります。ですから、一本筋を通しているメディアの中で、「ここにはどういう情報を出せば読んでもらえるかな」「あのメディアなら、こういう内容が合うだろう」と考えているんです。
信頼できるメディアにバランス良く情報を出し続けることで、読んでもらいたい潜在顧客層にリーチできる可能性が高まりますし、良質なメディアをたくさん育てることにもつながります。
押久保:渡辺さん、メディア側としては、信頼を得るために何が必要だとお考えですか。
渡辺:信頼できるメディアであるためには、良いコンテンツがあることが絶対条件ですが、その信頼性を担保に有料課金を受け入れてもらうには、メディア側の意識変革が必要です。手前味噌になりますが、当社はこれまで「読者」と呼んでいた情報の受取手の方を、「顧客」と見るように意識改革を進めています。
言葉の定義はすごく大切で「読者」というと、発信者側は情報を届けていれば良いという意識になりがちですが、「顧客」という言葉に置き換えると「顧客サービスや顧客満足度を上げるには何が必要か」という意識が生まれる。「顧客の期待を裏切るようなことは、あってはならない」と思うわけです。
また、世間を賑わせているフェイクニュース問題は、まさに構造問題だと考えます。広告単価が下がる無限の戦いを強いられる中で、コンテンツを作るためのコストはかかります。売上が上がらなければコストを下げる方向にバイアスが向き、その結果取材をしなくなったり、「味を薄めたコンテンツ」を作ることになります。
ページネーションを必要以上に増やしたり、ページを長くすることで広告枠を確保するといったフェイクビューも同様です。読者とのエンゲージメントを深めるということは、読者を最優先に考えるということ。広告掲載位置も自ずとユーザーエクスペリエンス重視で考えていくことですよね。
メディアはこうした誘惑にいつもさらされています。その誘惑に負けないためにはもう一つ収益の柱を作る以外ありません。当社の場合は広告費以外に、お客様からの購読費をいただくことで、この構造問題を克服できていると考えています。
押久保:おっしゃるとおりと感じます。私たちが紙の定期購読モデルをスタートさせた理由の一つもまさに収益の多様化です。一方デジタルメディアの中には、少人数で運営している優良メディアや専門メディアなどもあり、競争も激しいと思いますが、その点はいかがでしょうか。
渡辺:先ほどもお話ししましたが、そこでメディア規模という「大きさ」のファクターが重要になると思います。当社が電子版をスタートした時期といえば、ブログブームが起こり、個人での情報発信が注目されていた時期でした。
これらのブログメディアの中には素晴らしいものも数多くありますが、やはり「継続的な取材」にはノウハウや体力、一定以上の規模が必要になります。当社の場合、組織力に強みがあるので、数々のブログメディアや専門メディアとは異なる独自の位置を自然な形で確立できたと考えています。
セレンディピティを与えられるのか
押久保:メディアの中でも、ここ数年キュレーションメディアといわれる分野が非常に伸びております。この勢いをどうご覧になられていますか。
石井:情報が氾濫する中、キュレーション自体は便利なものだと思います。デジタルの最大のメリットである「データを使って、“これ”に興味をもっているお客様に、“この”情報を届ける」ことができるからです。
ですが、やはり広告主としては顕在的な部分ばかりに目を向けるのではなく、潜在的なお客様にアプローチして、その層の方が何をどう考えているのかを知りたい。マーケティング的な視点で言えば、そういう方々に、「へー、そうなのか」という新たな視点(セレンディピティ)をいかに与えていくか、に関心があります。
たとえば新聞であれば、パッと紙面を広げただけで、自分の趣味嗜好や知りたいこと以外の情報もたくさん入ってきて、気付きが得られますよね。お客様が欲しい情報だけを届ければいい、という姿勢でメディアを作ると、それはお客様の視野を狭めるものになってしますし飽きられてしまうのではないでしょうか。
これからのメディアは、お客様が欲しいものだけをダイレクトに届けるだけではなく、セレンディピティを装いながら欲しい情報を届けられる場であってほしいですね。
日経はテクノロジーを使った「瓦版」
押久保:私自身もメディア側の人間ですが、広告および記事の配信やターゲティングの技術など様々なテクノロジーが進化する中で、やはりメディアに求められる役割が変化していることを実感しています。
石井:そうですね。考えてみれば、江戸時代の新聞である瓦版は、街の真ん中に立て札を置いて、「この続きが読みたければ、記事を買ってください」というやり方でコンテンツを提供していました。
みんなが欲しい情報、あるいは「その人」が欲しい情報をしっかり売る、そういう時代だったんですよ。今はまた、テクノロジーの力を使い、瓦版のように「必要な人に欲しい情報を売る」という時代になってきつつあるのではないでしょうか。
渡辺:瓦版自体、コンテンツを持ち運ぶ「モバイル」の走りですね。ネットが登場してからメディア企業にとって良いことは一つもなくてやられっぱなしなんですが(笑)それこそデジタル時代の中でメディアはどう進化すれば良いか20年ぐらいずっと考え続けてきました。
考え続けた結果「人が欲しいと思っている情報を届ける。その情報を買ってくれた人をしっかりと観察する」というシンプルな結論に辿りつきました。進化は原点にしかありません。そこで自分たちの状況に立ち返ってみると、十分にやれるようになってきている。本質的なことを追求してきた結果、テクノロジーが追いついてきた印象です。
先ほども言いましたが、当社はOne to Oneが実現できるプラットフォームを目指して地道に取り組んできたので、この分野に関してはむしろテクノロジーカンパニーに近い体制がそろっています。表は新聞社、裏はかなりテクノロジー企業となっていて、おそらくデータ分析にかけている工数も、通販などの事業会社と同じくらいだと思っています。
良いコンテンツを作ることは当たり前の十分条件で、さらにサービスとして磨きをかけていく姿勢が求められていますね。
オウンドメディアがあればメディアはいらない?
押久保:最後に、非メディア企業が運営するメディア、いわゆるオウンドメディアとメディア企業が運営するメディアとの関係についてお伺いします。デジタルならではの価値は「顧客と直接つながれること」に疑いの余地はありませんが、企業のオウンドメディアが上手く機能しているかというと、そうでもないのかなと感じます。
オウンドメディアの取り組みを平たく言えば「メディア企業がやっていることをノウハウがない企業がやる」って話なので、難しい面もあるんじゃないかと予想していました。その中で花王さんではオウンドメディアをずっと続けていらっしゃいます。これはどのような理由があるのでしょうか?
石井:まさに良質なファーストパーティのデータを集めることが目的です。実際、当社のオウンドメディア「マイカジスタイル」は100万ほどのユニークユーザーがいますし、これらの方々に日常の家事の工夫を伝えていくことや、データを蓄積していることに意義があると考えています。
ただ、ネットでリーチできる層がすべてではないんですよね。一般には、ネットでリーチできるのは全顧客層の数%と言われています。なので、オウンドメディアがすべてではありません。
繰り返しになりますが、デジタルメディアの最終的な姿は、究極のパーソナライズだと思うんです。本当に欲しいというユーザーに、必要な情報が届く。そうすると結局、「どういうコンテンツをどういうお客さんに届けるか」になると思うので、そこで「広告の形をしたコンテンツを、別のメディアを通じて届ける」という選択肢もあると考えています。
渡辺:かつて「オウンドメディアがあればメディア企業のメディアはいらない」と言われたことがありました。企業がオウンドメディアを持つ意味はご指摘のとおり「顧客と直接つながれること」ですが、そもそもメディアを育てること自体のハードルがノウハウ、コスト、社内説得等の面で非常に高いです。やはり、我々のようなメディアのコンテンツと一緒に動く方が、オウンドメディアだけより効率が良いのが明らかになってきました。
当社も、こうした市場の動向を踏まえ、広告主のコンテンツマーケティングを支援する「N-BRAND STUDIO 」という新しい組織を立ち上げました。具体的には、営業や制作に加え、編集経験者を多く揃え、“刺さる”コンテンツを作る専門部隊です。
これにより、広告主が求めている「信頼性の高いメディアで」「潜在顧客層の視野を広げる」「刺さる」コンテンツを共同で作っていけるかな、と。オウンドメディアが足りない部分を補うパートナーとしての視点で取り組んでいけば良いのではと感じます。
石井:おっしゃるとおりです。今後の展開になりますが、指標作りやデータの整備も必要ですよね。刈り取りではありませんが、やはりデータを使って届けたいターゲットに対してどれだけメッセージが届いているかは精査する必要がありますから。いろいろな課題がありますが、広告主とメディア側がゴールを共有し、そこへ向かって精査していく時代に突入した感があります。
質の高いお客様との接点を作るために、広告主のお金の使い方が変われば、全体を正常化することにもつながると思うんですよね。それを担保するには、データの整備や指標の整備が必要で、そこを両輪として回していかないといけません。
たとえば、かつてはPVやUUの多さで効果を測っていましたが、スマホ全盛の世の中からすると、「必要な情報を必要な時に見て終わり」というコミュニケーションが増えているんですよ。とすると、闇雲にPVや滞在時間を延ばすのではなく、UUを増やす方向でデジタルコミュニケーションの設計を考えた方が良いという観点が生まれる。
デジタルにより、お客様との距離が近くなったことは確かですよね。次に、そのデジタルの場でどのようなコンテンツをどう展開していくかは、やはりお客様のことをOne to Oneでどれだけ把握しているかが重要だと思います。中心にいるのはお客様ですから。その視点は、常に持ち続けようと考えています。
押久保:お二人にしか話せない内容の議論になったと思います。本日はありがとうございました。