100年前のT型フォードのインパクト
「初代 iPhone」登場の2007年から100年前。iPhoneと同じように、社会全体を大きく変えた象徴的な商品が世に出た。 1907年10月「フォード・モデルT」(通称、T型フォード)、最初のプロトタイプ2台が完成したのだ。
それ以後モデルTの発展の歴史は、自動車業界の枠を越えていき、大量生産大量消費社会の発展を代表するものになった。20世紀を特徴づけるものだ。
そして、人間をマス(mass:大きな塊、集団、大衆)として捉える「大衆化社会」が登場し、結果として広告手法として、「マスマーケティング」が20世紀に普及した。 モデルTのインパクトは、文字通り、革命的だった。ここに1900年のニューヨーク5番街の写真がある。
上の写真の中に1台だけ自動車が走っている。わかるだろうか? つぎに、1913年の同じニューヨーク5番街の写真。 ここでは、1台だけ馬車が映っている。
1900年と1913年。この間に何があったのか? 説明は不要だろう。1907年のモデルTが世界を変えマスマーケティング開始の鐘を鳴らしたのだ。
100年後の2007年「初代 iPhone」の誕生。その後のスマホの普及が社会に与えたインパクトの説明は不要だ。モデルTに劣らず、社会的なインパクトは大きい。1907年のモデルT革命は、マスマーケティングのはじまりだった。2007年のiPhone革命は、なんのはじまりだったのか? これから、私なりにその答えを探してみたい。
「大衆化社会」の車輪と車軸
18世紀~19世紀、イギリスの産業革命によって人類の生産力は圧倒的に上がった。モデルTが登場した20世紀初頭、規格商品(マス・プロダクツ)を大量に生み出す基盤は既に整っていた。私はこれを「生産力のマス化(大量生産能力の社会化)」と考える。
「都市の空気は自由にする」。中世ヨーロッパでは、都市は城壁に囲まれていた。そこに農村の農奴が逃げ込む。領主から一定期間(1年1日など)逃げ切れば、自由民になれたらしい。
この都市に住み込んだ人たちが20世紀になって「大衆」に化ける。賃金労働者として都市近郊に住み、同じような所得水準で、同じような時間帯に通勤し、日曜日には教会で祈るという、似たようなライフスタイルに収斂していく。これを、「消費力のマス化(大量消費能力の社会化)」と考える。
「生産力と消費力のマス化(=大量生産大量消費社会の基盤)」は、1776年まで大英帝国の植民地だったアメリカにも、歴史的経緯などで異なる点はあるものの、基本的には移植された。
18世紀~19世紀、イギリス本国の社会モデル、思想や文化がアメリカに流れ込んだのだ。
この基盤に依拠したマスマーケティングが、20世紀のアメリカで開花した。つまり、「生産力のマス化(大量生産能力の社会化)」と「消費力のマス化(大量消費能力の社会化)」の両輪を、車軸としてつないだのが、マスマーケティングだ。
この両輪と車軸は、新聞、雑誌、ラジオ、テレビというマスメディアの登場によって、大車輪の活躍をする。
マスメディアが普及すればするほど、マスマーケティングが車軸として働く。「生産力のマス化(大量生産能力の社会化)」と「消費力のマス化(大量消費能力の社会化)」の両輪は、20世紀の私たちの生活を右肩上がりの豊かなものにしてくれた。
おそらく、1970年~80年ごろが、この大車輪の全盛期だろう。ただ、同時に、豊かになった消費者は、より多くの自由を求めるようになっていく。
価値観の多様化、文化の多様化、ライフスタイルや行動様式の多様化を生むことになる。女性解放、公民権運動、黒人解放、ヒッピー文化など、社会運動も出てきた。少しずつ大量生産大量消費社会の、綻びが目につくようになった。