「よし、ここからだ」という思い
田村篤司(以下、田村):こういう場で話すのは新鮮ですが、実は私と髙田さんは、ジャパネットたかたの本社がある長崎県佐世保市で小学生だったころからの幼なじみなんです。家がとても近く、創業者であるお父様には、それこそ塾の迎えの車に一緒に乗せてもらったりしていました。社会人になってからは度々仕事の話もしてきましたが、髙田さんは昔からいつも友達に囲まれていて、人を引きつけるキャラクターは変わりませんね。
髙田旭人(以下、髙田):田村さんは幼いころから優秀で。長崎の小学校から、福岡の久留米大学附設中学・高校へ一緒に進学し、寮生活で同じ部屋になったこともありました。そして東京の大学まで同じだったという、私にとっても希有な存在ですね。畑は違えども変化の激しいマーケティング環境の中で「お客様へどのような価値を提供するか」にお互い邁進しているから、私も一度じっくり意見を聞きたいと思っていました。
田村:まず、髙田社長はお父様が築かれた基盤を継いでいますが、その基盤をどう捉えているか、聞かせてもらえますか?
髙田:私の場合は、やはり親の背中を小さいころからずっと見てきて、両親のことが大好きだったし従業員さんにも良くしてもらっていたから、いずれ継ぐという考えありきで進路を選択してきました。だから、証券会社を経て、いざ35歳で社長になったときも、準備はできていたというか。よし、ここからだなという思いがありましたね。
楽天グループに一層の多様性を生み出す
田村:お父様には今ももちろん接していると思いますが、アドバイスを受けたりすることは?
髙田:それが、社長を継いでから具体的なことは一度も相談したことがないんです。経営を任せると言ってくれているから、私が聞かない以上は父も口を出さないし、そこは我慢してくれているなと思いますね。創業者というものは、どんな相談内容でも一瞬で「答え」を出してしまいます。もしそれが自分の描いた方向性と違うと、その先を進めづらくなると思うので相談はしていません。「いつでも聞いて」と言ってくれてはいます。田村さんはむしろ、転職時に初めて大いなる創業者(楽天 代表取締役会長兼社長の三木谷浩史氏)に向き合う状況になったわけですよね。どんな思いでしたか?
田村:最初に会ったときから、三木谷は自分の信念を貫き通す、芯の強い人だと感じました。事業範囲を小売からトラベル、カード、銀行、通信など幅広く展開し、ときに広く事業を広げすぎではないかと言われたりする中で、「会員ビジネス」として競争力を高めるという三木谷の強い意志で長い時間かけて進んでいます。最近になって世界のインターネット企業でも同様の戦略をとってきていますが、楽天グループは、今後も多様な事業と会員基盤を包含した経済圏として競争力を高めてゆくという信念で経営していきます。そんな楽天グループにおいて、私自身、自分の独自性、価値を出したいと思って参画しました。楽天グループは、どちらかというとtoC(および全国の小売店)が基盤なところ、楽天インサイトは大企業向けのtoBというまったく異なる方向性を模索しているので、グループに一層の多様性を生み出したいという思いでやってきました。そして、そのような当社の事業運営を尊重してもらっていると感じます。