Googleを売るつもりで入社したのにYahoo! JAPANをセールスしていた
黒田:入った時は人数も少なかったので、基本的には広告代理店を通じて売上を拡大していこうという戦略のもと、中規模以下の広告代理店を担当していました。フレッシュアイという売れないメディアから、Google AdWordsの可能性に賭けて入社したわけなので、自分の中ではYahoo! JAPANとは違うもうひとつ大きな軸を作りたいと、勝手にいきがっていました。しかし、当時GoogleはYahoo! JAPANと提携していたので、代理店からはいつも「Yahoo!に出ますか?(=AdWordsを購入すればYahoo!に広告が掲載されますか?)」「Yahoo!に出てないんですけど?」という問い合わせばかり受けていました。売るためには「Yahoo!に出ます」というのが一番の売り文句で、まるでYahoo! JAPANのセールスをしているような気分でした(笑)。
佐藤:当時グローバルのセールスを統括していたオーミッド・コーデスタニが来日して、Yahoo! JAPANというのは一言で言うとなんだ? と聞いてきたわけですが、日本では「Yahoo! JAPAN≒インターネット」だと説明していましたね。広告だってYahoo! JAPANに出していたら他に出す必要なんてない、という時代でしたからね。
黒田:Googleを売るぞ、と思って入社したのに、結局はYahoo!を売ることになったのですが、私が入社して半年くらいでYahoo! JAPANとの提携がなくなりました。同時にAdSenseによってコンテンツターゲット広告が始まるわけですが、それ自体が世の中ではとても新しい概念だったわけです。どこに出るかわからないディスプレイ広告、それってなんなんですか? という話から始まって、しかもテキスト広告だけという。
マス広告に代表される、従来の人を振り向かせる広告というところから、ユーザービリティを損なわない広告を啓蒙する立場に運用型広告の黎明期から携わってきたことになりますね。
AdWordsの成長過程を黎明期から見てきたシェリル・サンドバーグ
杓谷:Googleの中でのシェリル・サンドバーグはどんな存在だったのでしょうか?
佐藤:当時CEOのエリック・シュミットから、政府機関出身のとても優秀な人が入社したから、と紹介されたのを記憶しています。最初はGeneral Managerという肩書きで、担当する部署はなかったように思います。
黒田:その後、シェリル・サンドバーグはできたばかりのAdWordsのセールスを統括していくことになりました。実は、Googleの中でAdWordsは後からできたプロダクトで、AdWordsができる前はプレミアム・スポンサーシップという期間保証型の広告商品を販売していました。この商品のセールスを統括していたのが現Oath代表のティム・アームストロングです。
Googleが広告商品をAdWordsに一本化する過程でティムのチームがAdWordsのセールスチームに統合されます。それ以降は、ティムが大手の広告主を、シェリルが中小企業の広告主を担当するチームを統括していくことになります。
そういった意味では、シェリル・サンドバーグこそがAdWordsの成長を黎明期から牽引した人、と言えるかもしれません。AdWordsの成功の要因を最も熟知している人物と言っても過言ではないと思います。
佐藤:当時のGoogleでは政治家や経営者を招いてGoogleの世界観を伝える「ザイトガイスト」というイベントがあったのですが、2005年頃のザイトガイストにマーク・ザッカーバーグも来ていましたね。「The New Networks」と題したディスカッションのセッションに、当時のMyspaceのCEOと一緒に出演していました。
黒田:2008年にシェリルがFacebookのCOOになるわけですが、その時にオンラインセールスチームがごそっとFacebookに移籍していきましたね。シェリルはマークから広告事業と会社の運営そのものを期待されたのでしょう。Googleでシェリル・サンドバーグの右腕として活躍していたデイヴィッド・フィッシャーはシェリルの後を引き継ぎ2009年いっぱいまでGoogleに在籍していましたが、2010年にFacebookに加わっています。
スマートフォンの普及がFacebookの運用型広告開発を加速させた
杓谷:黒田さんがFacebookに移籍したのはいつ頃のことでしたか?
黒田:2015年です。私が入社した頃、日本ではインターネット広告のスマートフォンシフトをどんどんやっていくフェイズでしたので変化を先導している実感があり楽しかったです。また、Instagram、オーディエンスネットワークという、Facebookの外に広告掲載面を広げていくという節目に携われたことも良い経験になりました。
杓谷:外から見たときのFacebookはどんな印象でしたか?
黒田:IPO直後の2012年に、ニュースフィードに広告が掲載されるようになった時点でFacebookは広告事業の成長スピードを加速していくわけですが、個人的には日本における事業拡大の余地がまだまだ大きいのではないか、特にインターネット広告のメインストリームであったダイレクトレスポンス領域における可能性に注目していました。一方で、自分にとってはGoogle AdWordsの経験が長かったこともあり、同じ土俵で勝負することの厳しさも感じていました。違う何かが必要だぞ、と。
Facebook側にはニュースフィード内の広告を開発しなくてはいけない事情もありました。それまでデスクトップのブラウザでFacebookを見たときに、画面右上にライトハンドサイド広告(Facebook右側広告枠)があったのですが、ユーザーがスマートフォンにシフトしていく中で、表示させる枠がなくなってしまったわけです。それでニュースフィードにインフィードで広告を出していくしかなくなっていくわけです。
黒田:そこで、ニュースフィード内でコンテンツとしても違和感のない広告をどうやって実現させるかが大きな課題となるわけですが、シェリル・サンドバーグをはじめとするGoogle出身者のノウハウは随分活かされたのではないかと思います。
