【解説】企業は多様なライフスタイルにどう対応していくのか
一般的に「マーケティング」と言えば、社外の顧客に対して働きかけるマーケティング手法を思い浮かべる方が多いでしょう。それらを「エクスターナルマーケティング」とするならば、今回のテーマは社内の社員に対して働きかける「インターナルマーケティング」。そして、そこで重要となる概念「ダイバーシティ」や「インクルージョン」にフォーカスしています。
現在、「男性」「女性」「LGBTQ」をはじめ、子育て世代や独身、若者、高齢者など、多様なライフスタイルやライフステージにどう向き合うかが社会的な課題となっています。ここではさらに理解を深めるため、対談のモデレーターを務めた白石さんが、基本的な概念、世界的な動向、調査データなどを解説します。
インターナルマーケティングと「ダイバーシティ&インクルージョン」
インターナルマーケティングは、組織内を内部市場として捉えて行うマーケティング活動です。早稲田大学ビジネススクールの木村達也教授は自著で、「組織がその目的を中長期的に達成することを目的として実施する、内部組織の協業のための一連のプロセスあるいはコミュニケーションの活動」と定義しています(※1)。

現在、個人のライフスタイルやライフステージによって、就労に対する価値観はより多様性を増しています。組織として、1つひとつの価値基準に基づいた動機付けは効果をもたらさなくなっており、あらためて社内に働きかけるインターナルマーケティングについて考える必要性が増しています。特に、多様な人材へのアプローチである「ダイバーシティ」と、その対となる概念「インクルージョン」は、インターナルマーケティングの土台となるテーマです。
その意味をここで簡単に定義しておきましょう。ダイバーシティ(diversity)は「多様性」を意味し、組織内に多様な価値や発想を持った人材が存在している状態を指します。インクルージョン(inclusion)は「包括」を意味し、多様な個人の能力を最大限に活かすことができている状態を指します。「ダイバーシティ&インクルージョン」のように、2つの言葉がセットで使われるのは、組織としての価値を高めていくために、多様な人材が存在する状態を作るだけではなく、その個性を全体として受け入れ、いかに活用していくかが重要となるためです。
なぜダイバーシティとインクルージョンが注目されるようになったのか
日本は欧米諸国に比べて移民労働者が少なく、圧倒的に同質性が高いこともあり、「ダイバーシティ」と「インクルージョン」が企業から注目されるのは遅かったように思います。では近年、どのような背景から注目されるようになったのか、ここでは2つの大きな要因を挙げたいと思います。
まず、「少子高齢化にともなう労働力の確保」です。政府が「女性活躍推進」を日本経済活性化のカギの1つとして位置付けたこともあり、日本においては「女性活躍推進」がダイバーシティの大きなテーマと考えている人も多いように思います。世界ジェンダーフォーラムが発表している「ジェンダーギャップ指数」では、日本は144か国中114位と、先進国の中で著しく低い評価になっています。しかし組織における多様性の本質はより複合的で、性別、年齢、障碍、性的指向などの属性だけに限ったものではないので注意が必要です。
次に「組織としての競争力の強化」が挙げられます。グローバル化やデジタル化にともない、国際的なM&Aも増え、今までの組織のあり方では競争に生き残るのが難しくなってきています。ビジネスのあり方も、顧客との長期的な「関係性」への重視へと移り変わっています。また、企業に求められる価値の基準が、財務的な指標のみでなく、社会やコミュニティに対しての姿勢や取り組みへ対する指標への重要さも増しています(ESG投資など)。
社会正義的な観点から捉えられがちであった「ダイバーシティ&インクルージョン」に対する組織の向き合い方は、経営戦略の1つとしてより重要なテーマとなりつつあるように思います。
調査データに見る、業績に与えるインパクト
では、企業は具体的に何を実現するために「ダイバーシティ」「インクルージョン」を推進するのでしょうか。ここでは業績やイノベーションに影響を与えていることを示す、いくつかの興味深い調査結果を紹介します。
マッキンゼーが2017年に12か国、1000社を対象に行った調査「Delivering through Diversity」では、「経営陣における性別の多様性の高い上位25%の組織は、下位25%の組織に比べて収益の平均が21%高い」、また「経営陣における人種の多様性の高い上位25%の組織は、下位25%の組織に比べて収益の平均が33%高い」というデータがあり、経営陣における多様性が業績に与える数値的な有意性を示しています。
また、ボストンコンサルティンググループが、2017年に8か国、1,700社を対象として行った調査「The Mix That Matters – Innovation Through Diversity」では、管理職の多様性はイノベーションにおいても有意な相関関係が見られ、また、ダイバーシティの影響はデジタルイノベーションを重視する企業で最も大きくなることを示唆しました。
業績やイノベーションとの具体的な因果関係を示す事例はまだ少ないものの、いくつかの調査結果が示す数字からも「ダイバーシティ」「インクルージョン」推進の有効性が伺えます。
企業が取り組む際の課題
しかし、実際にインターナルマーケティングという概念のもと、社内の多様性を外部市場と同様に客観的に捉えられるかというと様々な課題があります。同質性が圧倒的に高く、強いステレオタイプや慣行の残る組織においては、「多様な個人」に対するアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)の認識や、パースペクティブ・テイキング(視点取得、他者の立場に立つこと)など、社会心理学などの観点から、個人と組織がその傾向について客観性を得るフェーズがまず必要となるでしょう。その上で、データや診断的な枠組みを用いて、自社の現状を具体的に認識する必要があります。
また、前述の調査データにもあるように、推進のためには経営陣の関与は必須と考えられます。経営陣は「ダイバーシティ」「インクルージョン」を推進する意味を、単に社会的な流れだからということではなく、ビジネスを進める上で不可欠なことだと説く必要があります。そのためにも、広報と連動し、社内やステークホルダーへの啓蒙活動やキャンペーンは、より重要性を増すはずです。フランスをはじめとする欧州では「CHO(チーフ・ハピネス・オフィサー)」という役員を設置する動きが広がっています(参考記事:「従業員の幸せ第一」経営が仏で拡大、日本でも期待できる理由、DIAMOND Online)。
その一方で、この取り組みには常に困難がつきまといます。ハーバード大学のフランク・ドビン教授が2002年に行った行った有名な調査では、民間企業708社のデータを調べたところ、ダイバーシティ研修には女性管理職を増やす効果がまったくないことが明らかになりました。逆に、研修実施後に黒人女性の管理職が激減。ドビン教授は研修がプラスの効果以上に、反発を生み出すきっかけになる場合があると指摘しています(※2)。だからこそ研修のみではなく、トップや経営層による戦略的なアプローチが必要と言えるでしょう。
日本での取り組みは始まったばかり
近年、日本でも「ダイバーシティ」「インクルージョン」の推進に取り組む企業が増えてきましたが、推進チームに任せきりにせず、経営・人事・広報が連携し、様々な角度から段階的・長期的に取り組むべき重要なテーマです。今回の対談でも、人事面からのアプローチと共に、積極的なデータの活用や環境整備、明確なコンセプトでの広報活動など、多角的に推進を行っていることがわかりました。
丸井グループの場合は、ダイバーシティ&インクルージョンの視点を経営戦略に採り入れ、社内だけでなく、社外の顧客に対しても、その考え方を踏まえてアプローチしているところが特徴です。新しい証券会社のコンセプトも「ファイナンシャル・インクルージョン」をベースにしています。これらの取り組みは、同社の「共創経営レポート2018」や「共創サステナビリティレポート2017」に集約されています。
ヤフーは勤務体制の多様化を推進する中で、社員の産休・育休後の復職率を96.1%(2017年度実績)に高めており、本社内に企業内保育所も開設しました。また、データで評価を可視化するなど、IT企業らしい取り組みを行っています。提供サービスにおいては今年、「Yahoo! JAPAN ID」を取得する際に選択する性別項目を「男性・女性」の2択から、「男性・女性・その他・回答しない」の4択へと変更しています。その背景は同社のブログで解説されています。
ダイバーシティ&インクルージョンの取り組みは、社内だけでなく社外へも広がっていくものと考えられます。インターナルマーケティングを展開した成果は、社員やプロダクトを通して顧客へも伝わっていく。そう考えると、企業として取り組む意味も、より明確で理解しやすいものになるはずです。
日本企業でこの課題に取り組む方々にとって、今回の記事がヒントになればと思います。(白石愛美)
【参考文献】
※1 『インターナルマーケティング 組織内部へのマーケティング・アプローチ』木村達也 著、中央経済社、2007年
※2 『競争と協調のレッスン』 アダム・ガリンスキー、モーリス・シュヴァイツァー 著、TAC出版、2018年