GDPRとの向き合い方が問われる、次世代の広告モデル

次世代の広告モデルは、広告主企業のブランドセーフティと同様に、生活者個人のプライバシーセーフティを守りつつ、GDPRに対応しながら、個人の同意に基づいて配信するものになる。
その際に、どのように個人データを使っているのか、生活者にわかるように説明しなければならないし、独占的地位を使って強引に同意を得ても違反になる。説明が不十分な場合、あるいは独占的地位の乱用を理由に、制裁金が科せられるかもしれない。
先日、「グーグルに制裁金62億円=個人情報収集の説明に不備 - 仏」(JIJI.com)というフランス当局の対応や、Facebookに対してのドイツ当局のダメ出し、「独、フェイスブックのデータ収集制限 個人情報を保護」(日本経済新聞)というニュースが出た。フランスの場合は、「説明がわかりにくい」という理由で、ドイツの場合は「独占的地位の乱用とデータ保護の原則に反している」とのことだ。
今のGoogleやFacebookはブランドセーフティにも問題があるし、プライバシーセーフティもデータ保護の原則に反していると指摘されている。
さらに独占的地位を乱用して個人に同意を強いているかもしれないし、どんな仕組みで利用しているのかをわかるように説明するのも難しい(ブラックボックスが多過ぎるという意見が根強い)。ダメな点が目立つようになった。GoogleやFacebookがダメになったというより、周りの環境が変わったのだろう。
「GDPRは、Googleを Disruptee(破壊される側)にする。彼らからデータ主権を取り戻し、そのビジネスモデルを Disrupt(破壊)するのが目的だ」という言葉の意味が、私もだんだんとわかってきた。
私は、この連載の9月の記事「広告の鬼・吉田秀雄の偉業を再び マイデータ・情報銀行の仕事をゼロから創りあげる」(2018/09/21掲載:リンク)の中で次のように書いた。
「電通はマスメディア全盛時代、その頂点に位置するテレビ・ラジオ・新聞などのメディア企業との関係を重視し、情報流通のピラミッドの頂点を抑えた。そして、広告業界の独占的地位を確立した。インターネット時代になり、フラット化した世界の中心で独占的な地位を築いたのは、GoogleやFacebookなどIT企業になった」
そしてGDPRによって、データ主権が個人に戻されることで、全体としては誰も中心にいない状態ができると論じた。つまり、世界のリゾーム化が進むのだ。そのリゾーム化するマーケティング環境の変化を、電通は本能的に感知し、情報銀行「マイデータ・インテリジェンス」を設立したのではないか?
「すべての個人が中心にいる。つまり、それは、全体としてみれば、誰も中心にいない。そのようなシステムの中で、少なくとも自分自身に関するデータについては、それぞれの個人が中心にいる。結果的に、各個人も結節点(ノード)の一つとなって接続し、全体としては中心のないシステムが相互信頼で動作する。繰り返すが、全体を監視して管理・制御する特別な主体を中心に据える必要がないのだ。そう、中心のないシステム、『リゾーム型』である」
このようなリゾーム型のシステムにおいては、GoogleやFacebookなど巨大ITプラットフォーマーですら、徐々に、パワー(権力)を剥奪され、データ主権という観点では、単なる一つの結節点(ノード)へと弱体化していく。
個人が完全に対等になるとは思えないが、少なくとも、個人のデータに関してはGoogleやFacebookなどよりも、あなた自身のパワー(権力)のほうが強いこと、少なくともその権利があることを法的に保証していく。
「そのような世界で、我々日本人は、どうしたらいいのだろうか?」と、夕食をともにしたイギリス人とイスラエル人に聞いてみた。するとイスラエル人が「いい考えがあるよ」と無邪気な笑顔をみせてアドバイスをくれた。
「イスラエルの企業に投資すればいい。日本からの投資は大歓迎だよ。歴史的にイスラエル軍の暗号技術やセキュリティ技術は、世界一だ。その技術をイスラエルの民間企業に転用している。だから、GoogleやFacebookが触手を伸ばす前に、もっと高いお金でイスラエルのITベンチャーにお金を注ぎ込めばいい!(笑)」
さすが、ユダヤ人は世界の金融ビジネスも支配しているだけあって、商売上手だなぁと、返す言葉がなかった。
