ユーザーや社内からの辛辣な声に晒された
私の部署異動と同時期に、当時米国から日本に上陸したばかりのMA(マーケティングオートメーション)ツールの導入プロジェクトが、面白いように役員会議を通過していった。そして最速で施策をリリースすべく、4年間のデジタル広告の経験を総動員して企画の仕様を固めた。しかしそれは社内のベテランマーケター達からは到底受け入れ難い内容だったようで、1対多の密室空間の中で、耳を塞ぎたくなるような手厳しい意見に晒された。
当時の私が「重要ではない」と切り捨てていた文言の表現一つ一つや、コンバージョンが欲しいあまり随所に恣意的な誘導を入れていた点など、一言でいうと「ユーザーにとって優しくない」ということだ。頭では理解していたが、「今までのやり方」のまま、修正せずに私は押し切った。
無謀なリリーススケジュールとリターン目標の達成を優先し、昼夜を問わずに働き倒すことによって、表現の粗さや社内ルールのイレギュラー対応を正当化していった。そして数多くのトラブルを抱えながらもリリースし、結果的にビジネス成果としてはホームラン軌道を描いた。

順調な数字の裏側に顕在化した、ユーザーのクレーム
ところがすぐに、ユーザーのクレームの多発によって問題は噴出する。オプトアウトの技術処理が上手く動いていなかったのだ。すぐに対応に当たったが、どうやら問題の本質はそこではない。要は「うっとうしい」という迷惑感情が、オプトアウト処理の失敗によってユーザーの怒りに火をつけて顕在化していたのだ。
プロジェクトの数字としては順調に見えていても、裏ではユーザーのクレームの声に真正面から対応せざるを得ず、生きた心地のしない日々。企画の仕様を詰めていた際に社内から指摘されていたことが脳裏をよぎっていた。指摘されていたのは表現ではなく、モラルだった。
「自分は今まで、誰にどんな価値を提供できたというのか?」
アドテクを極めた先での虚無感だった。広告はユーザーの本音の反応がわかるようでわからない。広告はコミュニケーションとよく言うが、私がやってきたのは一方的な露出行為であって、対話のキャッチボールなどではない。一方、メールマーケティングは違った。ユーザーが自分の意思で、自分の言葉で綴った言葉が、直接タイムリーに送られてくる。その生々しくも背筋の凍るような厳しい経験は、私にコミュニケーションの本質を教えてくれた。
コミュニケーションとは本来双方向であるべきもの。だが、私がやっていたのはコミュニケーションではなく、ハントだった。私はマーケターではなく、ハンターだったということだ。
