SEOという前に ~ 世間の風は冷たい
さて今までの「SEO批判」は、実はSEOに限ったことではない。まず情報のノイズ、無内容が目に付くというが、道路脇やネオンなどの広告は景観を損ねていないだろうか? 電話帳も良いところが大きく扱われているのではなく、お金を出したところの露出が高くなっている。テレビのコマーシャルも一緒で、出来の良さと商品やサービスの内容が比例しているわけではない。つまり、情報には必ずノイズがあり、いいものや内容のあるものがユーザーに届きやすいとは限らないということである。
次に、ビジネスである以上はいつも競争にさらされ、競合を上回ることが要求される。泣き言を漏らす前に、知恵も汗も、場合によってはお金も出す必要があるということだ。ライバルが目と鼻の先に出店してきたり、ビラまきや新聞折り込みで攻勢をかけてきたり、従業員を引き抜いたり、価格破壊を仕掛けてきたり、アナログではえげつないことも日常茶飯事である。情報商材も、SEOに限られたものではない。賢い買い物をするには、自己責任もついて回る。特にうまい儲け話は疑ってかかるべきかもしれない。
以上は、資本主義・市場社会では付き物なので、積極的に厳しい社会環境を乗り切っていく姿勢や覚悟が必要なのである。
(1)(2)(3)(4)の矛盾点
もし(1)から(4)のすべてが正しいと納得がいく方は、論理的思考に向いていないと思うべきである。
(4)ではSEOはことさら必要ない、自然と上位表示されると言っている。ところが(1)と(2)では他人のSEOが邪魔をしていると嘆いている。また、(4)では内容のあるコンテンツなら検索にかかるというのに対して、(1)(2)は上位こそ空疎なものだと非難しているのだ。
(3)では、上位表示に役立つSEOの情報もテンプレートも入手できないと嘆いているが、(1)(2)ではそういった詐欺的SEOとは別の非常に有効なSEOを実行しているということか。
(4)そのものはSEOへの認識不足と言える。ロングテールならいざ知らず、強豪ひしめく激戦キーワードでは、適当にキーワードを埋め込んでページを作成しても上位表示は絶対に無理である。キーワード書き込み以上にSEO効果がありそうなリンクにしても、商用サイトなら良いコンテンツであったとしても、おいそれとリンクをしてもらえるはずもない。プロ野球のタイトル争いのようなトップレベルでしのぎを削っているところで、草野球の投げる打つの話をされても次元が違うのである。