パーパスは単なるバズワード?
15回にわたり継続させていただいたこの連載も、いよいよ今回で最終回を迎えることとなりました。この1年と少しの期間で“パーパス”という言葉はよりメジャーになり、時には「バズワードに過ぎないのではないか」という議論が交わされるほど身近なものとなりました。
「パーパスは単なるバズワード」である、という批判の根底には「結局“パーパス”なんてきれいごと」「マーケティングのための方便でしかない」という冷めた見方があるように思われます。
そのひとつの証左としてSNSでは「『パーパスを設定した』という話は聞くが『パーパスを達成したので解散する』という話を聞いたことがない(だからパーパスは単なる方便でしかない)」という意見も見られました。果たしてこれは正しいのでしょうか?
基本的に企業が掲げるパーパスは、長期視点での目標、理想になります。必ずそうでなくてはいけないという訳ではありませんが、パーパスの本質、企業単体ではなく社会全体の持続可能性を高めるものであるという性格上、数年で達成可能な目標を掲げるようなことは、あまりないでしょう。
海外の事例に見る「パーパスの適宜見直し」
たとえばデンマークの製薬会社ノボ ノルディスクのパーパスは「変革を推進し、糖尿病および肥満症、血液系希少疾患、内分泌系希少疾患などのその他の深刻な慢性疾患を克服すること」となっています(出典:ノボ ノルディスク公式サイト)。
ここでいう「克服」には「予防」も含まれています。糖尿病などの疾患をゼロにすることだけでもかなり難しく、時間がかかるように思われますが、さらに「予防」も含むことで、達成して終わり、という状況には簡単に到達しえないように思えます。
そして重要なことは、ノボ ノルディスクは何度か自社のパーパスを見直していることです。
過去は「糖尿病の治療薬であるインスリン薬の製造」としており、その後、自社の存在意義を見直す過程で現在の「変革を推進し、糖尿病および肥満症、血液系希少疾患、内分泌系希少疾患などのその他の深刻な慢性疾患を克服すること」になったということです。
パーパスは社会の状況、特に自社が取り組むべき社会課題の解決と、自社の生存戦略、ケイパビリティとの掛け合わせです。一度設定したら変更できないようなものではなく、社会の状況に合わせて適宜見直すこともできます。
この「適宜見直し」を、「パーパスがマーケティングのための方便である証拠」と見るか、「真摯に自社の存在意義と向き合った結果」と見るか。みなさんはどう思われるでしょうか? ぜひ自社のケースで考えていただければと思います。
自社の存在意義を見直す機会に
パーパス自体を見直すだけでなく、時にはパーパスに基づいて自社のビジネスモデルを変更することもあります。
先ほどのノボ ノルディスクの例では、「疾患の克服」のため、治療薬の製造だけでなく、デジタルツールを活用したモニタリングやレシピの開発など、患者あるいは患者予備軍のための統合的なソリューションへとビジネスを変革しています。
そして同様に、本編でも「みらい製菓」が「お菓子作り」から「場づくり」へとビジネスの在り方を再定義しています。モノ消費からコト消費へ、モノづくりからサービスへ、というようなことが一時期よく聞かれました。
そのような市場の変化も参考にしながら「お菓子で世界を笑顔にする」そして「子供の『みらい』を守り続ける」ためには、やはり地域の連携こそが重要ではないかということ、また家庭で余った食材を「みらいのごはん」に加工することで、フードロス削減にも寄与できるのではないかということで、地域密着型のサービスモデルをイメージしました。
実際、昔の日本にあった「ポン菓子」というビジネスは、各家庭で余ったお米などを持ち込むと、その場でお菓子に加工してくれる、というモデルでした。
市場が成熟するにつれ、このような地域密着型のビジネスは徐々に姿を消していきましたが、近年環境問題が顕在化したことで、古着のアップサイクルや、日用品の量り売りなどが見直されつつあります。実はそこには、今の大量製造・大量販売モデルにはない、顧客との細やかな交流があるのかもしれません。
自社のルーツを紐解いていくと、昔は普通にできていたのに今はなぜかできなくなっていること、忘れられていたことに突き当たることがあります。
パーパスは、単なる方便ではなく、真摯に自社の存在意義と向き合うための機会・ツールであり、「マーケティングの本質」に通じるものである。そうした考え方が、共通認識となっていくことを願っています。
1年以上の長い期間にわたり、この連載にお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
この連載の一覧はこちら!「マーケター理子の成長記~パーパスドリブン・マーケティングを学ぶ~」