組織慣性が働く中、新しい試みをどう根付かせる?
田部:パイオニアさんは歴史がありブランド認知も非常に高い企業です。それを活かすことができる強みがある一方、ゼロから事業を始める場合とは異なる難しさがあるかもしれません。
石戸:そうですね。過去の資産を現在に活用することが追いついていない状況と捉えています。組織や商習慣に働く慣性の大きさを感じます。パイオニアはオーディオやカーエレクトロニクスメーカーのビジネスモデルで80年以上やってきた会社です。直近の30年は、カーナビやカーAVの「カロッツェリア」というブランドが成長し、売上額も非常に大きい。
他方で、ここ20年でのインターネットの発展により、市場は変化しています。カーナビで言えば、自動車台数の減少も相まって、ナビを搭載する数も減少しています。これに対して何か手を打とうと思っても、そこで使われてきた言葉・やり方の慣性が働きます。サービス事業やSaaSのような組織にしようとしても、この慣性と新しい考え方や行動をただちにミックスするのは難しい。メジャーリーガーにサッカーをさせるようなもので、ちゃんとルールや相互理解を深めないと、サッカーの競技場にバットを持ってくるようなことが起きてしまいます。
田部:新しいやり方を根付かせていくために、どのような工夫をしていますか?
石戸:これまでのカルチャーを理解しながら、社内で共通認識や共通言語をどう作っていくかを考えるようにしています。温故知新という言葉が好きなのですが、たとえば定年退職後の再雇用の方にパイオニアが成長してきた理由やブランドの成り立ち、現在の商流・商習慣が作られた背景を聞いたりするのはとても役に立ちます。
言葉1つを取っても人によって解釈が無数になってしまい、行動がバラバラになることも体験してきました。外部から入った人間が過去の歴史や慣性を理解したり、生え抜き社員の人間がこれからのあるべき姿について学んだり、経験したり、その中で共通認識・共通言語を丁寧に認識を合わせていくことは重要だと思っています。

コミュニケーションのコツは解像度にある
田部:先ほどのフライホイールが仕組みだとすると、顧客とのコミュニケーションにおいて気をつけられているポイントはどんなところでしょう。
石戸: 当社の場合、補助金や法改正など、社会的な動きを押さえておくことがポイントになります。経営戦略やマーケティング分析で使われるPESTの領域です。たとえば今までは、運送会社でのアルコールチェックは義務でした。しかし今年からは、営業車両を持つ企業の総務部門においてもアルコールチェックが義務化される法改正がありました。当社のお客様は総務部門の方々が窓口になる場合が多いので、インサイドセールスの電話やマーケティングのメッセージに法改正のメッセージや情報を入れるようにしました。
インサイドセールスの段階で、窓口の方々の周辺的な興味・関心も含めて聞くことを意識しています。しかしそればかりをすると直接仕事にならない商談も増えてしまうので、どのようなリードをクオリファイリードにするかはよく考えておく必要があります。目先の売上や商談だけが企業成長ではなく、その周辺の顧客の情報やデータが中期的な経営の競争力になります。キーエンスさんのデータドリブンな営業もそうですし、マーケット・インテリジェンスをしながらの両輪の活動が持続可能な組織を作ろうと考えています。
田部:BtoBの場合、現場の担当者、部長、IT部門担当、社長など、関係者が多数いらっしゃるので、その方が置かれている環境や気持ちを分析して戦略を考えるのが重要ですね。
石戸: はい。いかに高い解像度で窓口の方々を理解できるかに尽きると思います。営業もマーケティングも、その会社の人たちと関わり、想いを知ることを重視しています。
ファイナンスの知識を持つと選択肢が広がる
田部:マーケターには、投資対効果や費用対効果への感覚も強く持つことも求められます。石戸さんはどのように向き合われているのか教えてください。
石戸: 当社のBtoBビジネスは現在、最初に投資をして回収していくベンチャーに近いスタイルでやっています。赤字でも投資をして、3~5年後にどのようなユニットエコノミクスになっているか、EBITDA(※)を紐付けることが必要になります。
※ EBITDAとは、企業価値評価の指標。利払い前・税引き前・減価償却前利益(Earnings before Interest, Taxes, Depreciation and Amortization)を指す。
新規事業を立ち上げる場合はゼロからのスタートなので計算式が比較的書きやすいのですが、当社の場合は既に会社として長いこと所有しているコンピュータやシステム、ツールなどを考慮しなければならないため難易度が上がります。移行期間中は、マーケティングを強化しながら、過去の販売費や業務プロセスを見直しコストカットも両輪で進めることが肝心です。
例を挙げると、当社は名刺管理やMAなど複数のツールを使い、そのIDとチャーンユーザーを管理する保守管理会社にも費用をお支払いしていました。既に部署を異動したり退職した人が意思決定して、その後、慣性の法則的に使っているお金を見直すことで、そこまでお金をかけるものでもない、むしろ私が手弁当でもできる作業なので解約して年間960万円のコストカットにつながりました。他にも数百万、数千万規模のコストカットをしています。
コストカットと聞くとちょっと締め付けのある表現に聞こえるかもしれませんが、利益を出さないと、新しいサービスも作れないし、プロダクトに投資もできない、つまり顧客価値を向上できない。ひいては社員の給与も上げることができません。やめる勇気、粗利を作る意識も大事だと考えています。
DXが進んでいないと、デジタルツールは「これを入れればなんとかなる」という魔法の杖に思われがちです。しかし、ムダは禁物。売上を伸ばすより無駄をやめる方が簡単なので、まずそれを行うのが定石です。
田部:マーケターも財務数字への理解やファイナンスの知識を持ち、それを読み解けるようになると、より成果を出しやすくなるでしょうね。
石戸: そうですね。マーケティングは与えられた広告宣伝費を使い、チームメンバー、代理店などのパートナーさんだけで実行すると思われがちですが、それだと成果を出すための選択肢が少なすぎます。