メタバースが脅かすマネタイズポイント
視覚(アイドルのルックス)・聴覚(アイドルの声)は当然として、触覚(アイドルに触った感触)・嗅覚(アイドルの香り、イベント会場の匂い)・味覚(イベント会場のドリンクの味)などをコピーし再現する。それは原理的には、CDがアイドルの声や楽曲をコピーして再現したのと同じだ。
「VR(Virtual Reality)とは、体験をデジタルコピーする技術だ」というとき、たとえば、アイドルの握手がメタバース会場で行われることを意味する。VRのメタバース会場で握手しても、東京ドームなどのリアルイベント会場で握手しても、その体験は同一になる(目指す理想はそうなる)。
あるいは、メタバース会場における握手の方が良質な体験になる。AR(Augmented Reality)とVRが融合し、普通のリアル会場では体験できないような、完全に異なる新しい体験、新しい現実を創造する。
メタバースの普及により、コピーがオリジナルを凌駕する
「現実をありのままにコピー(複製)できるのか?」 いや、「現実のさらに先をいくのか? 現実を超越して、新しい超現実を創造するのか?」 メタバースが普及するとして、どこまで普及するのか。それは、その複製技術、そして、超現実の技術にかかっている訳だ。
オリジナルとコピーの攻防。繰り返すが、それは、グーテンベルクの時代からメディアビジネスの基本だった。私たちは、オリジナルに価値があると幻想を抱いていること多いが、現実ではコピーに価値があり、コピー(出版物など)にお金を支払っている。そして、そのコピーの権利(Copyright)を持つ人のところにお金が集まっていく。
いや、オリジナルの価値もある。たとえば、夏目漱石の手書きの原稿にも価値はある。だが、それは歴史的価値や社会的価値であって商品価値ではない。つまり、商品として流通することはない。出版社がコピー(複製)を出版物にして流通させてはじめて、市場における商品価値がコピーに生まれる。
このオリジナルに価値がある(あるいは、オリジナルの価値の方が高い)という幻想・偏見も、メタバースが普及することによって変わる可能性がある。オリジナルとコピーの攻防の結果、コピーの方が面白いとか、メタバース握手の方がリアル握手よりも興奮するとか、そのような逆転の可能性も秘めている。
「ホンモノに会ったら、ガッカリした」という倒錯現象。あるいは、メタバース世界のアイドルが生身の人間を越えて、唯一無二のホンモノになってしまう。コピーの世界(バーチャルの世界)がオリジナルになってしまうと言ってもいい。