称賛される「ありのまま」と、炎上する「ありのまま」の正体
私は「ありのまま」を発信する人と、それを求めていない人の間に生まれる摩擦に着目。次のような考察をし、Connecting the Dotsの形式にしました。

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InstagramをはじめとするSNSやYouTubeなどコンテンツ発信型のプラットフォームで自分が好きなブランドやインフルエンサーをフォローする際、人は無意識にそのアカウントから「こんな発信をしてほしい」と期待しています。その受け手の期待に対して、期待を超える「ありのまま」が出てきた時は称賛、逆に期待を下回ると炎上するという、期待のずれからリアクションが生まれていると考えました。
では、他の参加者はどう考えたのか見ていきましょう。
三者三様の“ありのまま観”から、「ありのまま」の捉え方を考察
他者のありのままへの「憧れ」
中野さんは「憧れ」に着目し、まとめていました。

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「ありのままであること」は魅力的で人を引きつけるという中野さんの考えは、他人の目に影響されない自分でいることの難しさを示しているとも受け取れます。「子どもが本当に撮りたいものを切り取っている」というキッズカメラの事例は、大人が考えがちな他者からの評価を気にした写真とは真逆なものになっていて、「ありのまま」は子どもの中にこそあるのではないかと考えさせられました。
他人の目が作り出すありのままの「演出」
他者との関わり合いの中で今「自分が見ている相手とは違う一面」や、逆に「相手には見せていない自分の一面」に人は「ありのまま」を期待するという河野さんの指摘。その期待を煽るように「ありのまま」を演出する行為もSNSで見られると言います。

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この話を聞いて私は、自分が見せている一面も、そうじゃない一面も、どちらか一方が「ありのまま」というよりも、どちらも当人にとっては「ありのまま」なのではないか、と問いを立てました。
自分のありのままの「葛藤」
「ありのまま」でいたいけどさらけ出すことへの不安、「ありたい姿」とのギャップなど。岡野さんは「ありのまま」には葛藤がつきものになっていることを指摘していました。

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この話では、外見ではなく「ありたい自分に近づきたい」という理想を追う心持ちこそ、その人の「ありのまま」とも言えるのではないかと考えさせられました。