イベントでの共演と書籍化の軌跡
MarkeZine編集部(以下、MZ):対談のはじめに、改めて藤井さんの自己紹介からお願いします。
藤井:ビービットの日本リージョン代表として、日本事業を統括する役割を担っています。ビービットは2000年の創業以来、25年にわたりUX支援を行ってきました。一般的にイメージされるUI/UXデザイン領域はもちろん、より長い視点での「あるべき体験」を構想する戦略立案からゼロイチのサービスデザイン、さらには自社SaaSを活用した行動データに基づく改善やグロースまで、一気通貫で支援しています。
私自身、2025年にリージョン代表に就任しましたが、今も営業やコンサルティングの現場に立っています。市場から情報を収集して実際に試行し、方法論として確立させて再び市場に還元するというサイクルを回しながら、常に現場や市場の動向を見ています。

MZ:伊藤さんと藤井さんといえば、MarkeZineでもレポート記事としてご紹介した2022年の「ad:tech tokyo」で一緒にご登壇されていましたね。お二人の最初の出会いはそのタイミングでしょうか?
伊藤:そうですね。元々藤井さんの著書『アフターデジタル - オフラインのない時代に生き残る(日経BP)』を拝読していたので、イベントで共演できるとは思いませんでした。
セッション後、藤井さんが「本を書いたらどうですか」と仰ってくれたのを覚えています。その後、翔泳社さんからご縁をいただいてゲーミフィケーションをテーマに書籍化することとなり、「藤井さんが後押ししてくださったから、きっとできるだろう」と書き始めました。執筆は想像以上に苦労しましたね。

藤井:そのような経緯があり、伊藤さんの『ゲームフルデザイン 「やりたくなる」を生み出すゲーミフィケーションの進化(翔泳社)』の帯の推薦コメントを書かせていただきました。セッションで実際に対話した際、伊藤さんの言語化と構造化のレベルの高さに衝撃を受けました。あのようなフレームワークをすべて言語化するとなると、執筆に大きな苦労がともなうことは必然と感じましたね。
UX設計は通常、顧客の課題(ペイン)を理解し、それに対する解決策を提供するプロセスをたどります。しかし私自身もゲーム好きであることから、ゲーム的な体験デザインには少し違うアプローチが必要だと感じていました。その未知の領域に、伊藤さんが光を当ててくださったのです。
現在、私が事務局長を務めるUXインテリジェンス協会でも、新しい切り口で顧客体験作りに取り組んでいる方をぜひお呼びしたいと考えた際、伊藤さんのお名前が満場一致で挙がりました。2025年4月から理事を務めていただいています。
UXの定義を考える
MZ:まず、改めて藤井さんが長く携わられているUXの定義についてうかがいます。マーケティング領域でも広く扱われるようになりましたが、CXとの区別があいまいだったり、デザインの意味合いが強かったりと、言葉の定義が曖昧になりがちです。
藤井:UXの定義は様々で、UXインテリジェンス協会では、UXを以下の通り定義しています。
UXとは:
「企業・サービス・製品」と「関わるあらゆる人々」との関係を形作る「相互作用のすべて」
藤井:また、元AppleのUXアーキテクトであるドナルド・ノーマン氏が定義したものが有名ですね。彼は1995年頃に、「エンドユーザーと、企業・サービス・製品とのインタラクションのあらゆる側面」と定義しました。私たちはノーマン氏の定義が非常に重要だと考えています。
彼はPCを購入する際の体験を例に挙げ、PCを選んで購入し、箱を車に乗せ、開封して使い始め、友人とその話をする。この一連のプロセスすべてがUXであると述べています。しかし時代を経て、UXはWebの話に限定され、UIとUXがセットで使われることが増えた結果、その概念が矮小化されていきました。
ノーマン氏の定義はUXの全体像を示していますが、SNSやプラットフォームの登場により、その領域はさらに広がりました。「商品や企業と私」という単純な関係だけでなく「私と他のユーザーとの関わり」や、データが蓄積されることによる累積的UXなども考慮されるようになったのです。そのため、UXインテリジェンス協会においても、その対象を非常に広く捉えるよう定義しています。
この広がりは、「ジャーニー設計」だけでは対応できないことを意味します。現在の体験はよりネットワーク的であり、形式的にジャーニーマップを作成するだけでは体験設計の本質を見失ってしまいます。
プロセス自体が独り歩きし、手段が目的化してしまった結果「UX設計といえば、ペルソナを描きジャーニーを作るものだ」という認識が蔓延しています。私はこの状況を是正したいと考えています。
伊藤:これはゲーミフィケーションの世界でも同様ですね。「ポイントやランキング機能を導入すればいい」という安易な考えでゲーミフィケーションに取り組んだ気になってしまうと、本質からは離れていきます。