変化する顧客の「切実な悩み」を、「面」で捉える
――「パーパスと事業の間のダブスタ」について、歴史的背景からマーケティングの変遷まで、お話しいただきました。ダブスタを1つのスタンダードに統合していくことが、自然と社会価値創出と事業成長の両立につながることになると思うのですが、そのために、どうすればいいでしょうか?
岩沢:今までのマーケティングのセオリーでは、ターゲットを明らかにすること、つまり小さく絞り込むことが非常に重視されていました。しかし、人口減少や社会が複雑に絡み合う現代においては、「狭めすぎる」のではなく、「面で捉える」という視点も重要だと考えています。
たとえば地域全体や、これまでターゲットとして分けていた老人、赤ちゃん、学生などが共通の課題を共有している可能性がある。つまり、課題の切り取り方が今までと明らかに変わってきています。最近のグッドデザイン賞の受賞作品にも見られるように、老人ホームに子どもたちが遊びに来れるなど、複合的な意味や用途を持つ「パブリックな場所」が新しい事業の実験場になり得るでしょう。

たとえば保育園事業者であれば、少子化を背景に事業の多角化が必要です。保育園はその利用者だけに限定していて、当然ですが、地域の人たちと出会う機会が少ない。親も忙しく、日常的に地域の人々との交流が細っているのが実情です。ここを問題と捉え、「保育園施設で複数の交流を作れないか?」と考えるとどうなるでしょうか。
空いている時間に学生に貸す、近所の高齢者の憩いの場も入れる、庭で犬が遊ぶなど、地域の小さな隙間を寄り集めることで、交流が増えると、たとえばお弁当が売れたり、本屋やドッグランもできたりと、事業を多層的にできる可能性があります。このように、今までのマスで捉える成功セオリーがうまくいかないのであれば、新しい成功モデルを探索する必要があると考えています。
齋藤:顧客にはお金を払ってでも解決したい「切実な悩み」があり、それに対して企業がソリューションを提供する。このビジネスの基本的な構図は変わりません。ただ、顧客の切実な悩みの「中身」が変わってきていますよね。たとえば岩沢さんが言うとおり、人口が多かった時代は何でもなかったことが、人が減ると切実な悩みになる。
世の中の前提が変わることで、これまで悩みではなかったものが悩みになり、価値ではなかったものが価値になっていく。マーケターは、このような「うねり」を捉え、見つけていく必要があると思います。
そのためには、本質的にお客さまの顔が見えるレベルまで解像度を上げて、その人のジョブや切実な悩みは何なのかを考える。そして、今の瞬間だけでなく、未来において世の中がどのように変わるかを予測し、そこから生まれる悩みに新しいビジネスチャンスを見出す発想が必要です。
川合:「切実さ」を見つけることは、まさにマーケターのコアスキルです。ただし、その切実さは常に変化し、揺れ動くものです。
たとえば、都心では「保育園の数が足りず、子どもを預けられない」という課題が指摘されますが、問題は数だけではありません。通園の移動距離・時間が長すぎたり、乗り換えの多さやベビーカーでの動線、悪天候時の負担が重なったりして、名目上は空きがあっても実質的に利用できない家庭もあります。さらに、開所時間と保護者の勤務シフトのミスマッチ、兄弟が別園になることによる送迎負担、病児・病後児の受け入れ可否など、条件面もボトルネックになります。
こうした「距離・時間・アクセス」の制約を解くために、サテライト/分散型保育、モビリティを活用した送迎シャトル、近隣園のネットワーク化による柔軟な受け入れ、地域の空き枠を可視化する予約調整プラットフォーム等に挑むスタートアップも生まれています。これは、「個人の切実な生活課題から出発し、その解決が社会課題の緩和と事業成長の両立につながる」その好例だと言えます。

現場から一次情報を知り、抽象度を上げて事業を進化させる
――では、切実な悩みを知るために、どのようにアプローチすればいいでしょうか?
齋藤:あるシェアオフィスの事業企画をした方のセミナーで聞いた話がわかりやすいので、ご紹介します。
コロナ前、働き方の多様化が言われる以前に、駅のカフェで見積もりを作っている人を見て、「企業に所属する人間の働く場所がオフィスしかない状況は不便で、この時代が続くはずはない」と未来を見越して事業を立ち上げたそうです。立ち上げの背景には、その方が不動産の会社に所属しており、自社のリソースを活用できるという理由もありました。 そして、シェアオフィスに来た人にインタビューを続けて、「何があれば嬉しいのか」という一次情報を集め、解像度を上げて、切実な悩みを掴むことでサービスの発展につなげたそうです。
このように顧客を見て、顧客の切実な悩みに対して自社のリソースで答えるという基本に、多角的に捉えるために社会の変化という「外側の視点」を取り入れることが大切です。その際、マーケティングリサーチ会社に依頼して得られる「二次情報」に頼りきりの状況は、顧客の本質を理解しにくいと考えています。もちろんリサーチのアウトソーシングも効率性の観点では重要ですが、偏重を懸念しています。
たとえば、顧客と接している販売会社の現場は顧客のことがわかっていても、メーカーの事業/商品企画は相対的に顧客を理解しきれていない実態もあります。メーカーの事業/商品企画はクレームの声やロイヤル顧客といった極端なセグメントに触れる機会が多いため、大多数の一般顧客を捉えづらいのです。私がコンサルティングをする際には、デプスインタビュー等の際にはメーカーの方に必ず同席いただくようにしています。
社会課題においても同様で、「当事者」から一次情報を得ることが極めて重要です。支援者や自治体は社会課題の当事者である受益者ではないので、彼らと話すだけでは本質は見えてきません。NPOのようにヘビーな社会課題の現場に身を置き、実際に活動されている方々がいます。そうした方々が語る内容は、現場から得られる一次情報に基づいており、そうでない立場からの見解とは解像度が大きく異なります。
マーケターの皆さんに、危険を伴うような情報収集を求めるわけではありませんが、可能な限り「現場や当事者に近い視点」で物事を捉えることが、課題の本質を理解し、的確なアプローチにつなげる上で重要だと考えています。
岩沢:一次情報に触れる大切さは「共創」でも重要だと感じます。共創は「誰と新しい関係を作りたいか」が非常に大事な視点です。企業同士だけでなく、未来を考えるなら若者と、地域の問題ならその地域に赴いて考える。時には植物や動物、昆虫などもステークホルダーとして捉える。
たとえば、ロフトワークは飛騨市・トビムシと一緒に官民共同体の「飛騨の森でクマは踊る(通称:ヒダクマ)」を立ち上げ、飛騨の森が活用されづらいという課題に対して、100年目線で解決するプロジェクトに10年前から取り組んでいます。ここでも、まずは建築家の方々など関係者と一緒に森に行くんです。現場を見て対話していく中で小さな気づきが生まれ、小さな取り組みをする。それが続くと事業として成り立つ閾値を超える時が来ます。
日本では森と人との関わりが社会的・経済的・歴史的な背景から急速に変化し、自然環境に対する影響も深刻になっています。ヒダクマでは、安定供給や均一な品質を森の多様性に求めるのではなく、森という自然に寄り添い、地域の林業事業者や職人たちと建築家や様々な専門家が協働し、今までにない森の価値を生み出そうと実践しています。
こうして、自分たちがこれまで意識していなかった「森」というステークホルダーに出会い直すことで、森に対する「当事者性」が生まれます。もう「森」を数字だけで語ることは無くなります。訪れた時の心地よさ美しさ、目の当たりにした問題。これらが原体験となり、「どうにかしたい」「なんとしても作りたい」という事業の起点が生まれると信じています。
齋藤:マーケティングはアナロジーを効かせられる仕事の1つ。何かの現場で解像度を上げて得た経験が、別の場所で意外とブリッジすることもある。その意味でも、多くの引き出しを持っておくことは大事だと思いますね。

また一次情報に触れる際には、何にフォーカスするか見当をつけるための仮説を用意し、分析していく必要があると思います。その際に、「仮説検証」ではなく、「仮説進化」という考え方が大事です。
「仮説進化」とは仮説通りか検証するだけでなく、仮説と異なる新しい発見がないかを考えるのです。その発見こそが重要です。平均値ではなく、外れ値に注目するとも言い換えられます。インタビューの際に、予想から外れている少し変わった人に話を聞くと、「実はすごく本質的で合理的なことをやっている」ケースがあります。彼らの行動にイノベーションの種があることが多いのです。
岩沢:齋藤さんのおっしゃる「仮説進化」はとても共感しますね。ロフトワークでは、たとえば事業開発の際には、「わたしたちは今、何を常識としているか」を明らかにすることから始めます。
たとえば、お酒を製造している企業なら「飲料メーカー」や「アルコール」に囚われすぎているかもしれない、と疑うのです。そもそも「お酒を楽しむ」ことは何を提供しているか、と遡ってみると、その企業が提供するのは「楽しい場」かもしれないし「リラックスする場」かもしれない。そう考えれば、お酒以外でも良いという話になります。

一度「抽象度を上げる」ことによって、自分たちが囚われている業界、業態、ターゲットといった制約から解き放たれ、そもそも提供してきた価値は何だったのかを再定義する入り口に立てます。そして、社会の切実性と、パーパスという抽象度の高いものをつなぐ「何か」が見つけられれば、自分たちの進むべき事業領域(新たな機会領域とも言えます)が見えてきます。
齋藤:抽象度を上げるというのは非常に重要なキーワードです。これはジョブ理論にも近いですね。たとえば保険会社であれば、従来は事故や病気といった「事後のリスク発生」に備えて保険料を集め、そのプールから給付を行うモデルが中心でした。しかし本質は「安心・安全」を提供することにあります。そう考えると、事故や病気が起こらないように未然に防ぐ「予防」や「リスク低減」の領域にも、サービスや収益モデルを拡張することができます。価値提供の抽象度を上げ、より高次のジョブにフォーカスすることで、従来の補償中心モデルから予防・健康増進を含む新しいビジネスモデルへと進化できるのです。
川合:企業が本来「何を実現したかったのか(社会にとっての価値)」を見つめ直すことが、抽象度を上げる第一歩です。表層で「社会課題に向き合う」「自社の強みを認識する」と言うだけでは機会は見えにくく、深掘りが足りない領域に留まってしまいます。
社会課題側ではN=1の当事者に迫る行動・感情・制度・時間/コストまでを掘り下げ、自社側では技術・データ・設計力・関係資本など無形資産まで棚卸して「強みのコア」を特定します。両者を同時に深掘るほど、交差する「新規事業のビジネス機会」が具体化します。
一方で、事業の成長過程では立ち上げ期に見えていたユーザー像が人事異動や分業化で薄れ、マネタイズの仕組みだけが独り歩きしがちです。これを防ぐために、パーパスと顧客定義、一次情報に基づくユーザーリサーチ、そして短期KPIと中長期の社会価値の接続を定期的に見直し、常に「誰の、どんな課題のために、何を成し遂げるのか」を更新し続ける仕組みが非常に重要です。