「最初の一歩」を踏み出すためにできること
――最後に社会価値創造と事業成長の両立に取り組みたいと考えるマーケターの方に「最初の一歩」をとるための具体的なアドバイスや、メッセージをいただけますか。
齋藤:3つあります。1つは、ビジネスの本質も人間の本質も変わっていないことです。社会価値創出という言葉はバズワード化していますが、顧客の切実な悩みを解決し、その対価としてお金をもらうというビジネスの方程式は何も変わっていません。マーケターが顧客インサイトを見つける能力は、社会課題を捉える上でも非常に価値を出せる領域です。社会の前提が変わることで顧客の切実な悩みが変わる、というロジックを前提に社会課題を捉えていきましょう。
2つ目に顧客を「知る」ことが、これまで以上に重要になっています。特に社会課題は、支援者と受益者という2つの顧客がいる場合があるので、両方の解像度を上げていく必要があります。NPOの人たちと連携するなど、一次情報に触れることの重要性は計り知れません。
3つ目に長期的な視点と、結果を出すことのバランスです。綺麗事だけでは組織内における納得感を醸成しづらいため、結果を出すこと、つまりマーケティングできちんと顧客を掴み、トップラインを上げていくことが大切です。しかし、それだけでは面白みに欠けると感じるのであれば、自分の時代に花開かないかもしれない長期視点で社会を変えていくことにも思いを持ち続けてほしいですね。
中国の諸子百家の一人である「墨子」は、春秋戦国時代に「兼愛」や「非攻」を説きました。しかし、その理想は当時の社会にすぐに受け入れられることはありませんでした。一方で、墨子と弟子たちは城郭防衛などの実践において高く評価され、戦争遂行の現場では大きな成果を上げていました。こうした短期的なパフォーマンスの積み重ねが弟子たちに引き継がれ、長い時間をかけて兼愛や非攻の精神も少しずつ社会に浸透していったのです。このエピソードのように、自分の時代に成果が出なくとも、長期的な視点と信念を持ち続けることが、社会を変革していく上で重要です。マーケターの皆さんには、目の前の成果を着実に積み上げることと、将来的な社会変化を見据えた長期的な取り組みの両方を意識しながら活動していただけると心強く感じます。
岩沢:まずできる一歩としては、ひとつひとつのサービスや事業をシステムとして捉えてみること。たとえば、あるユーザーがなぜ困っているのか、その後ろにある問題、複合的な因果関係も含めて俯瞰的に見る視点を得ることです。すると、これまで見逃していた間接的な影響に気づくことは、新たに「共創」すべき相手の発見にもつながります。今まで協働していなかった当事者たち(ステークホルダー)と出会い直し、改めて一緒に作ることに取り組み始めることが、未来の可能性と選択肢を広げてくれます。
この時、「長期思考」を持つことも非常に大事です。気候変動や人口問題のような大きな問題は、50年、100年といったレベルで考えなければなりません。自分の子どもや、次の世代に良いバトンを渡せているか、という視点を持つことです。ビジネスの選択肢を選ぶ時に、会社に言われたからだけでなく、次の世代を見た時に「この選択肢を選んでいいのか」という問いを、常に自分の中に持つことができると良いでしょう。
とはいえ、短期的にやらなければいけないこともあります。大きく根本的に変えることだけではなく、たとえば「今日の暑さ」といった、「適応・予防」のレベルでの社会課題もたくさん溢れています。これはマーケティングの主戦場とも言えるでしょう。アウトドアメーカーが気候変動の中でも快適に過ごせる衣服を出すように、小さな適用・予防のレベルでも社会課題解決と事業成長を結びつけられます。
そういったところをチャレンジポイントにしながら、長期視点を持つことで、選択が変わってくるのではないでしょうか。
川合:AIの進化により、いわゆる“多数派に最適化”された仮説やソリューションが大量に生まれています。だからこそマーケターは、目の前の一人の生活者の課題は何か、そしてその背後の社会をどう変えたいのか、という問いを自ら立てる主体性がますます重要になります。その主体性から生まれたストーリーや気づきは、自分だけに留めず、チームに共有し、同じ現場体験を促すことが大切です。現場観察→一次情報の要点化→定期共有→小さな実験、というサイクルを回すことで、組織に「当事者を知る」文化が根づいていきます。
そして、伝え方(どの形式で伝えるか)と、伝播の仕方(どの仕組みで広げるか)まで設計すると、顧客・生活者視点が部門横断で再現可能になります。結果として、トップダウンの指示だけに依存せず、現場発のアイデアや小さな実験が自走しやすくなり、チーム全体の“社会を見る解像度”が継続的に高まります。改めてAIを効果的に活用しながらも組織として生活者視点で社会の解像度を上げ続けることこそが、顧客理解の基盤であり、事業成長を生む最短の土台だと考えています。