なぜ今、広告会社が「DEI」に向き合うのか
MarkeZine編集部(以下、MZ):はじめに、御社の事業概要について簡単にご紹介いただけますか。あわせて、その中で渡辺さんが参画されている「DEIコミュニケーションラボ」が担うミッションや、具体的な取り組みについてもお聞かせください。
渡辺:オリコムは創業100周年を超える総合広告代理店として「世の中に一つでも多くの『良い関係』を創造する。」を理念に掲げ、交通広告に限らず幅広いサービスを提供しています。
生活者の価値観が多様化する中、従来のような大まかなセグメント分けではなく、一人ひとりを深く理解することが重要と考えています。「DEIをやろう」というよりも、生活者と真摯に向き合い、その「ありたい姿」や幸せの価値観を捉えていく中で必要となったのがDEIの視点でした。
そこで発足した専門チームであるDEIコミュニケーションラボでは、「DEIの視点を取り入れたコミュニケーションデザインで企業と生活者のすれ違いをなくし、ブランド価値のさらなる向上へ。」をミッションに掲げ、活動しています。
渡辺 澪氏
マーケターを悩ませる「炎上」の正体と課題
MZ:「DEI」を巡る広告表現の難しさに直面しているマーケターも多いと思います。昨今の広告・プロモーションにおける「炎上」の傾向をどのように見ていらっしゃいますか?
渡辺:情報過多の時代、企業は埋もれないために「スルーされるよりは話題になってほしい」とエッジの効いた表現を求めるケースも多く見られます。しかし、炎上と議論の境界線は曖昧で、ほとんどの場合は「意図しなかった」「そんなつもりじゃなかった」という認識の齟齬から生じています。SNSで切り取られた部分だけが独り歩きして「勘違い」を生むことも多々あるでしょう。作り手は膨大な時間をかけて議論し、熱意を持って制作していますが、それが文脈を失って伝わることで、作り手と受け手の間に「不幸なギャップ」が生まれてしまっているのが現状です。
MZ:意図せず生まれてしまう、その「ギャップ」について詳しく教えてください。多くの企業が真剣に議論し、「良かれと思って発信したメッセージ」であるにも関わらず、なぜネガティブな反応を招いてしまうのでしょうか?
渡辺:要因はいくつかありますが、代表的なものとして私たちが「つもりDEI」と呼んでいる表面的な対応が挙げられます。たとえば「男女を両方描けば大丈夫」といった安易な発想や、「男性が家事をする場面を入れれば良い」という単純な置き換えでは、DEIに対する本質的な理解の欠如が見透かされてしまいます。このような表面だけを取り繕う「つもり」的な姿勢が、作り手と受け手との間にギャップを生み、ネガティブな反応を招いてしまうのです。
渡辺:また、マーケターが目指しているのは「炎上しない広告」の制作ではなく、「マーケティングKPIに沿って効果のある広告を作ること」です。しかし、誰かを傷つける表現になっていないかを考えるあまりに、逆に「何も言っていない」広告になってしまうジレンマに直面しているケースも見受けられます。
DEIの視点はチェックリスト化が困難で、文脈や発信者、主語によって受け取られ方が大きく変わります。現在の炎上は「特定の言葉」よりも「前後の文脈」で起こることがほとんどであり、一つひとつを丁寧に検討する必要がありますが、そこには「主観の限界」があるのが現実です。
そこで私たちは「数字」という客観的指標を導入した診断ソリューション『DEI Quick Checker』を開発し、DEIという主観で捉えられがちなテーマに、データを用いてアプローチすることを可能にしました。
AI×人の眼で、表現の「客観的なモノサシ」を作る
MZ:『DEI Quick Checker』の具体的なサービス内容について教えてください。
渡辺:『DEI Quick Checker』は、「DEI評価」と「コンセプト評価」の両軸で生活者からの受け取られ方を可視化することで、表現の攻め引きに客観的な判断軸を提供できるサービスです。オリコムでは2023年より、アメリカにある全米広告主協会(ANA)のジェンダーバイアス測定基準『GEM』を日本市場へ導入・推進してきました。『DEI Quick Checker』では、GEMの調査を通じて得た知見をベースに、NTTデータが提供している産学共創プロジェクトから生まれた脳情報予測技術『ニューロAI(NeuroAI)』を活用し、より包括的な視点であるDEIに測定範囲を拡げた独自モデルを構築しています。
重要なのは両方の数値のバランスであり、DEIスコアが高くても、肝心のコンセプトが伝わらなければ広告としての意味がありません。
DEIスコアは100を基準に数値が上下するのですが、数値を絶対値として評価するのではなく、その広告で伝えたいメッセージを踏まえ、どのラインであれば作り手と受け手のギャップが少なくなるのかを分析、考察した上で判断しています。

MZ:他社のリスク検知ツールやSNSリスニングとは、どのような点が決定的に異なるのでしょうか?
渡辺:従来のツールが事後の「火消し」対応に重点を置くのに対し、『DEI Quick Checker』は事前に「火を作らない」ことを目指しています。文章だけでなく動画や静止画などクリエイティブ全般を対象とし、企画段階から効果測定まで柔軟に活用できます。
また、単純にスコアを提示するだけでなく、DEIとクリエイティブの両面に精通したアナリストが要因を分析して、改善の方向性まで提案するのも特徴です。
「ただの指摘では終わらない」ニーズに合わせた提案も
MZ:具体的にどのようなアドバイスをもらえるのでしょうか?
渡辺:たとえば、「女性『でも』大丈夫」「男性『でも』大丈夫」といった「助詞」の使い方は、「できないのが当たり前」という前提があるように聞こえてしまいます。そのような場合は言葉遣いを変更したほうが良いと提案しています。加えて、単に「『でも』を変えてください」というだけでなく、その企画意図や全体として何を伝えたいかを踏まえ、「このような企画意図でこのようなことを訴求したいのであれば、この言葉遣いではなくこのような表現にしたほうが良いですよ」というところまで踏み込んでフィードバックを行っています。
渡辺:また、生活者がクリエイティブから受け取る情報として大きいのは言語情報ではありますが、もちろん仕草や表情も重要です。たとえば「家事をしている女性」がいたとします。女性が家事をすること自体はDEIの視点において問題ではありませんが、そこで描かれる女性の表情や仕草、佇まいに対して指摘を入れることはあります。なぜなら、家事という行為をその登場人物がどう捉えているかがDEIの視点では重要だからです。
仕草・表情・言語、どの要素であっても、「企画意図を踏まえた上で、生活者にどう伝わるか」という視点は変わりません。お客様のニーズや重視されるポイントに合わせて、複合的な視点からより良い表現方法をご提案しています。
DEIは「ブレーキ」ではなく、ブランドを加速させる「エンジン」
MZ:『DEI Quick Checker』導入企業からは、どのような反応がありますか?
渡辺:導入企業様からは主に2つの点で評価をいただいています。
まず、リスクを指摘するだけでなく「それをどうすれば良いのか」という具体的な改善ヒントを提示する点です。スコアやアラートを出すことも重要ですが、それがゴールではありません。私たちは「広告表現をより良いものにしていく」ことを目指しており、そこまでしっかりとコミットする姿勢を評価していただいています。
もう一つは「客観性」です。感覚に頼った議論は平行線をたどりやすいものですが、数値という「共通の物差し」があることで、チーム内で建設的な合意形成ができるようになります。『DEI Quick Checker』が示すのは、絶対的な正解ではありません。しかし、個人の主観だけでは見落としがちな点をデータで補い、「どうすればより良い表現になるか」を前向きに議論できる土台を作れる点が高く評価されています。

多様性の時代に、「愛されるブランド」であり続けるために
MZ:『DEI Quick Checker』を通じて、広告業界やクライアント企業のコミュニケーションをどのように変えていきたいとお考えですか?
渡辺:まず、広告業界において制作段階でDEIの視点からクリエイティブを見つめ直すことをスタンダードにしていきたいと考えています。「やって当たり前」という常識を作るために、『DEI Quick Checker』はクイックに結果を出せるツールにしています。
ただ、改めてお伝えしたいことは、私たちが広げたいのは「DEIを推進しましょう」ということではなく、「生活者を多面的に捉え、より良いコミュニケーションを作るためにDEIが重要」という考え方です。
正解のない時代において必要なのは「正しさ」よりも「誠実さ」だと考えています。その誠実さとは、社会や生活者を見続け、良識をアップデートし続けることです。これこそが良いコミュニケーションの基盤となります。とはいえ、主観的な判断には限界があります。だからこそデータを味方につけ、自信を持って正解のない時代のコミュニケーション課題に取り組んでいただきたいと思います。

