Q. まず初めに貴社の事業内容を教えてください
主に2つの事業から成り立っています。一般のユーザー様向けに占いを提供するBtoC事業と、企業様向けに占いサービスを提供するBtoB事業です。
BtoC事業では、自社で開発した二者間通話システムを使い、電話番号非公開で占い師と携帯電話やスマートフォンで恋愛相談ができるサービス「みんなの電話占い」と、恋愛相談のQ&Aサイト「みんなの恋愛相談」を提供しています。
「みんなの電話占い」は、初回は10分1,050円から手軽に利用でき、通話する度に溜まっていくポイントを利用することで、縁結びのお守りや割引チケットなどに交換することができるといった、占い後にも様々な特典を受けることができるようなシステムにしています。
BtoB事業では、自社のホームページやメールマガジン、デジタルサイネージなどに占いコンテンツを配信したい企業様に対して、占いをASPサービスとして提供しています。月額30,000円から利用できる安価で質の良い占いを提供しており、監修にはフジテレビの血液型選手権を監修していた御瀧政子先生を起用し、他社との差別化を図っています。
Q. 起業するまでのキャリアを教えてください
大学は青山学院大学の2部(夜間)でしたので、昼間は電気工事士や医療機器販売、恵比寿ガーデンプレイスのオープニングスタッフまで、色々な仕事をしていました。
大学卒業後は、イギリスのコンピュータウイルスワクチンソフトを輸入販売するプロジェクトに携わりました。インターネットの知識は同期の中でも優れていたため、同社のホームページの立ち上げやウイルスのアップデート作業などを行っていました。
ただ当時は、本当にやりたい仕事だとは思っていなかったため、2年後に退職しようという決意していました。その意志どおり2年後に退職し、1年ほどCGの専門学校に行きながらカメラマンとして生計を立てていた時期もありました。ただ、当時デジタルの一眼レフカメラはまだまだ高価という事もあり、デジタルフォトグラファーの道は閉ざされてしまいましたが…。
その後、2000年にサイバーエージェントとオンザエッヂ(現livedoor)の子会社HOOPS!のディレクターになり、自分の得意としているインターネット事業に携わることにしました。翌年、楽天に同社が売却され、改めてインターネット世界のスピードの速さを身に染みて感じました。また、当時の社長が辞めて別会社を起業したため、楽天の三木谷会長に副社長へ任命され、27歳にして初めて経営に携わることになりました。
一年後、インフォシークと楽天子会社同士で合併し、モバイル部を立ち上げ、日本で最初にモバイルの検索連動型広告を作ったり、写メの評価サイトを作ったりと、モバイルの可能性を形にしていきました。
楽天退社後はオーストラリアに留学し、英語の専門学校に通いながらSEOコンサルタントをしたり、フランス人やチリ人、カナダ人など諸外国の仲間と共同生活をして、「人生の夏休み」を謳歌していました。
帰国してからは、小学生の頃から憧れていたゲーム会社コナミに勤務し、クイズ懸賞のモバイルサイトの企画・制作に携わりました。自分の憧れていた会社で作品を残せたことで、一つ区切りがついたと思いました。
同社を1年で退職し、初めて空を飛んだ人にちなんで「エアロノーツ」という名前を付け、今の会社を設立しました。