坂井 康文氏
1991年サントリー株式会社入社。情報システム部配属後97年よりWebの仕事に従事。現在サントリーホールディグス株式会社広報部デジタルコミュニケーション開発部長として、サントリーウェブサイトを担当。全社のインターネット活用基盤整備、メールマガジン、モバイルサイト、最近ではソーシャルメディア(ブログ、ツイッター、ミクシィ、フェイスブック)の活用にも取り組む。社団法人日本アドバタイザーズ協会Web広告研究会幹事。
戦線が拡大し続けるデジタル領域で優先順位をつける
青葉 ――坂井さんは新卒でサントリーに入社されていますが、入社のきっかけとこれまでのキャリアについて教えていただけますか。
就職活動は、業界問わず幅広く見ておりまして、企業を育成投資する銀行や日本の産業を支えるような重厚長大な鉄鋼業まで、自分の興味の赴くままに受けていましたね。そんな中、食品メーカーのサントリーを受けたのは、もちろん食に興味があってお酒も好きだったからですが、入社の決め手になったのは、実際に面接のステップで会うすべての社員がとても楽しそうに働いている印象を受けまして、「人」に惹かれたというのが一番の理由です。
青葉 ――入社以降は、ずっとデジタル領域に携わっていたのですか?
ええ、実はホームページの黎明期から関わっています。もともと理系でしたので、入社時からシステム部門に配属されまして、1年目は夜中にコンピューターセンターから緊急連絡が入る役目で、ハードな生活を送っていました。2年目に大阪から東京に異動しまして営業系のシステムを担当するようになり、その後入社6年目の97年にホームページ担当になります。たまたま隣に座っていたシステム部門の先輩がホームページの立ち上げを手がけていて、ときどき仕事を手伝っていたところ、担当を引き継ぐことになりました。これが今の仕事につながる大きな転機ですね。
当時の時代背景としては、酒類の販売について流通構造の大きな変化がおきていましたし、また社内的にもそれにあわせて営業革新をしていこうという動きがありました。システム部門でもマーケティングに活用する営業系システムの構築作業でかなり慌しかったため、ホームページやインターネット施策に対応するリソースが必要だということになり、99年に私と上司とで経営層に話をし、ホームページの専任チームを設けてもらいました。
そして03年に、コミュニケーション部門の中で取り組むべきだということになり広報部に移管され、05年には新たにホームページの基盤をささえるインフラやアプリケーションを開発・運営する専任チームがシステム部門にできました。現在はそのチームと連携して、全社的なデジタル領域の取り組みにあたっています。
青葉――時代に応じて、とてもスムーズに業務と組織体制が整備されていったのですね。
いえ、スムーズとは程遠いですよ(笑)。当社には創業以来の「やってみなはれ」の精神が根付いていて、社風として新しい試みには寛容で前向きですが、実現するとなったら現場では人材のアサインや他部門との連携など、整備すべき点がたくさんあるので、試行錯誤の連続です。
それに、ホームページを触り始めた頃はまだ20代でしたから、責任が重いと感じたこともありました。だから、企業サイトのトップページをどうするかなんて平社員に決められないと、役員に直訴したこともあったのですが、何を言っているんだと。「君が社内で一番詳しいなら君が決めればいい、年齢なんて関係ない」と一蹴されました。今振り返れば、いい言葉をもらったなと思います。
若手を早めに責任あるポジションに登用するのは、今でも非常によく行われています。そうすると、何事も主体的に考えるようになり、あの部署に先に確認しておこうなどリスク管理にも目がいくようになります。人材育成に大いにつながっていると思います。
会社の事業はどれもバトンリレーのようなところがあって、私はたまたま先輩からデジタル領域のバトンを受け継ぎました。デジタル領域も大きくなってきたので、個々の業務についてどんどん若手にバトンを渡して行きたいと思っています。そうすることで引き継がれる後輩もどんどん成長していくはずだと。