「検索連動型広告」という言葉と概念を世の中に広げていく
――それまで世の中になかった検索連動型広告というものを、どのように販売していったのですか。
杉原:先程お話しした取り組みの早かった企業は一部ですから、とにかく認知を上げなくてはという思いで最初は四苦八苦していました。いまでこそ「ペイドサーチ」や「スポンサードサーチ」という言葉が一般化しましたが、当時はまったく伝わらなかったので、まずはみんなで言葉を考えました。それで出てきたのが「検索連動型広告」という言葉です。ここでつまずくと市場に広まらないというので、みんな真剣でした。
上野:電話をかけても「オーバーチュア」と聞き取ってもらえず、「え、『おばちゃん』?」と返されることもしょっちゅうでしたしね(笑)。
もともと米国から来たサービスで、商流としてはオーバーチュアと広告主がダイレクトに契約をするのが主体のモデルでした。それを日本市場で浸透させるためには広告代理店さんとの協業が必要だったので、日本独自の認定代理店制度を我々で作りました。
手探りだったので大変でしたが、サイバーエージェントさん、アイレップさん、セプテーニさんなど、現在運用型広告の取り扱いトップの会社さんにいち早く手を挙げていただきました。正直なところ、あの頃から伴走し、共に大きくなっていったという実感です。今この業界で多くの会社が代理店制度を取っていますが、あのときに我々が作ったものが基本的にはベースになっていると思います。
杉原:あとは、日本語の難しさと奥深さを痛感したこと(笑)。キーワードひとつ取っても、略称の有無やひらがな、カタカナ、漢字の表記ゆれなどもありましたし、ミスタイプするとキーワードと認識できません。人間がそもそも持ち合わせている多様性を強く感じましたね。まだ当時、辞書は高機能なものではなかったので、表記のゆれを吸収するために手動で登録していましたが、なかなかタイムリーに実現できる体制がなく、マッチングせずに悔しい思いをしたことが多かったです。
今でこそ、広告主の意図をしっかり汲み取り、キーワードもなるべく少なく入れることがベストプラクティスですが、まだ初めてだったからそういうことがわかりませんでした。我々でもわからないのだから、広告主や広告代理店も大変だったと思います。
ただ、オーバーチュアはそこは手厚くサポートしていました。提案書を出して、キーワードも数百個ほど抽出し、サンプル広告を1つ付けた上でExcel提案書を提出していたんです。
上野:考えてみれば、今に続くメディアの収益最適化の方程式は、オーバーチュアが初めてきっちり作ったのだと思います。メディアを運営している方は、たとえばページビューあたりの収益や1検索の収益を測り、どうすれば最適化すればいいかを考えますよね。そういうやり方も、検索連動型広告が出てきて初めて確立されたのかもしれません。

インターネットでお金が還流する仕組みを築いた
――まず検索連動型広告という言葉をつくり、それをもとに世の中に仕組みを広げていったんですね。その後はどのようにノウハウをためて、市場を拡大していったのでしょうか。
上野:試行錯誤でしたが、先ほどお話ししたように、こちらも頑張ってノウハウを蓄積し、一緒に盛り上げていったと思います。事実、その後の成長は大変なものでした。先ほど社名を挙げさせていただいたサイバーエージェントさんやセプテーニさんなど、今のインターネット広告に欠かせない企業の方も、当時はまだ小規模で、一緒に成長していきました。
杉原:検索連動型広告のインパクトは、それまで「なかなかビジネスにならない」と思われていたインターネットの世界で、初めて「インターネットで儲ける」という仕組みができたことだと思うんです。Webにあるサービスに対し、まず資金を投資して集客し、それで収益を上げ、その収益を次の事業に投資する——そういう流れを構築しているという実感がありましたね。
上野:広告といえば、会社の経理から見ると宣伝広告費への投資になりますが、検索連動型広告の場合、販促費や営業費として捉えられていますよね。販促費や営業費の場合、ROIをしっかり精査されるので、効果がなければ投資できなくなるんですよ。
その点、検索連動型広告は非常に大きな成果を上げられますし、キーワードをうまく活用すれば、たとえば「在庫一掃セール」などで在庫を全部はくといった運用もコントロールできます。これは広告の世界でも初めてだったと思います。だからこそ、一気に成長したのでしょうね。