様々な見方を受け止めるのが重要
廣澤:実は以前、『ニッポンのジレンマ』のスタジオ観覧にお伺いしたことがあります。その後の放送も見ましたが、4時間以上におよぶ収録の中では話題の転換が多く様々なテーマについて語られましたが、実際の番組では視聴者が混乱を招かないようにまとめつつも、解釈の余地を残す編集をされていてテレビマンの力を感じました。丸山さんは、どのようなプロセスを経て、今のような番組の全体設計をされるようになったのですか。

丸山:ある意味極めてシンプルな話だと思いますが、「人それぞれの見え方を否定せずに肯定し、では自分はどうしていくだろう?」という考え方をずっと続けてきた、ということなのかもしれません。ものの見方は、いろんな方向へ転がすことができるわけで、想像力をかき立てるきっかけと考えるぐらいがちょうど良いし、さらにその違いを楽しむのが大事なんだと思うんです。
『ニッポンのジレンマ』にも決着点があるわけではなく、誰かが言ったことが正しいわけでもありません。最終的には、「世の中には、いろんな人がいて考え方がある。では、あなたはどうしますか?」でしかない。そのことが、日常的な感覚として多くの方に伝わることを願って制作してきました。
たとえば、メタレベルでものを見て、「今目の前で起きている話し合いの構造は、見たことがあるな」と考えてみたとする。すると、自分の中で記憶として蓄積されている事柄が、フラッシュバックしてきて、「ああ、あの時と同じ構図の対話だな」と思ったりもする。そして、その同一性と異質性を考えて、おもしろくなってくる……。廣澤さんとの対談でも客観的に見ている自分がいますし、そのこと自体を楽しんでいる、そんなフラットな感覚がいつもあるんです。
廣澤:様々な見え方を否定せず、フラットな感覚でいること。それが、全体感につながっているんですね。マーケターも生活者からの反応をまずは肯定してみるのが良いのかもしれません。マーケティングに携わる際、ターゲットや提供価値をマーケターがあらかじめ規定していることが多いと思います。しかし、「お客様によっては、こんな使い方や捉え方をされるかもしれない」という可能性を否定しないことが、新たなサービスやイノベーションのヒントになるのではないでしょうか。
無意識に対して敏感になれるか
廣澤:では最後に、マーケター含めてクリエイティブなどの仕事に関わる若手へ、メッセージをいただけますか。
丸山:逆説的な言い方になりますが、意識的に頑張らないと良いと思います。無意識の時間、なんでもない時間、言葉にならない感覚、これらを持てることは豊かですし、そのことに対して、敏感であって欲しい。そんな人であれば、どんな時代も楽しく生きていけるのではないかと思いますし、その無意識から得られる豊かさこそ、かけがえのないものです。
廣澤:昨今、テクノロジーの発達や「デジタル○○」の隆盛にともないデータ至上主義的感覚が強まっている気がします。データは悪いものではありませんが、データ偏重になりすぎるとクリエイティブな感覚からは遠ざかる気がしています。直感や無意識などの感情が薄れてしまわないよう、その示唆は大事ですよね。
丸山:AかBか決めなくても平気でいられる、わからない状況を楽しめる能力を持つこと、そのことがひとつの能力です。データに基づいて決めなくてはいけない、決断力がある状態が正しい姿だと決めてしまうことは、豊かさを、むしろ皮肉なことに消していると思います。
これも逆説的なレトリックですが、『ニッポンのジレンマ』で、作家・五木寛之さんが「テレビはまだ“退廃”を極めていない」という言葉を残されたことがありました。おもしろい表現ですよね。これは五木さんらしい映像文化への愛の示し方で、もっと文化として成熟せよ、その可能性を突きつめてみよ、というエールだと感じたのです。と同時に、こうした志があれば数十年後も、テレビは思わぬ形で不思議な生き延び方をしていると考えるんです。
「テレビは終わった」ではなく、そこから始まるくらいがおもしろくて、逆にいろんなチャレンジができるようになったとも言えます。私は、今社会人になる若い方々のほうが羨ましいなと思いますし、どんどんチャレンジして欲しいですね。