米国メーカーがCMで提示する「新しい男性像」
白石:先日、カミソリメーカーのジレットが米国で展開したCMが「新しい男性像を打ち出している」と話題になりました。ジレットは「賛否両論は想定内」とコメントしていて、大きな変化の波を感じました。
田中:僕も見ました、興味深かったです。「#MeToo」のムーブメントに発端して、「果たして旧来のマッチョな男らしさは今後も賛美すべきなのか?」と男性向け商品のメーカーが問いかけたことは、意義があると思いました。男って、この社会では長らく「強いほうが得」でしたし、日本ではいまだに親が小さい男の子に「男だから泣くんじゃない!」と言っていたりしますが、「男は強くあるべき」という暗黙の前提も崩れつつあるのかなと思っています。
白石:他にも、男性の化粧品ブランド「AXE(アックス)」が男性自身のステレオタイプを問い質すキャンペーンも議論を呼びました。
白石:今回の取材では、『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』や、『不自由な男たち その生きづらさとは、どこから来るのか』などの著書がある男性学の専門家の田中先生と、マーケティング・コミュニケーションにおける「新しい男性像」についてお話ししたいと思います。加えて、私自身がダイバーシティをテーマに企業のマーケティング支援をする中で感じている「なぜダイバーシティの問題に男性は当事者意識を持てないのか?」という点についてもうかがいたいです。
まずは田中先生の専門である「男性学」とは何なのか、教えていただけますか?
田中:端的にいうと「男性が男性だからこそ抱える悩みや葛藤」を扱う学問です。女性が女性だから抱える問題を扱う「女性学」が先に発展しましたが、それに対して、男性学は日本では1980年代後半から議論され始めました。
「普通のおじさん=新橋サラリーマン」の幻想
白石:女性学が先に発展したのは、どういう理由があるんでしょうか?
田中:グローバルと日本とでは少し状況が違うのですが、日本では女性は、結婚・妊娠・出産によって否が応でも就業継続の悩みを抱えますよね。では逆に、なぜ男性は結婚や出産で悩まないのかというと、「いったん就職すると40年働き続ける」ことが非常に強く自明視されているからです。良くも悪くも、本人も周りもそれが当たり前だと思っている。1990年代には日本でも「メンズリブ運動(男性解放運動)」は展開されていましたが、そんな“普通”を押し付けるなという主張もされていました。
そうはいっても男が働くのは当たり前だったので、当時のインパクトは限定的でした。それが2015年あたりから風向きが変わり、徐々に男性学に継続的な注目が集まってきています。“普通”の押し付けに加えて、低成長である現在、「男性は卒業したら40年働いて妻子を養う」という前提が崩れてきて、“普通”にすら手が届かないという問題が出てきたんですね。
白石:女性もかつては「結婚して子供を産むこと」「子供ができたら仕事を辞めて育児に専念すること」などが“普通”とされ、それは「無意識の偏見」という言葉で女性の社会進出が進む中で注目されるようになってきました。男性が押し付けられてきた辛い“普通”とは具体的にはどんなことでしょうか?
田中: たとえば「普通のおじさん」と聞くと、ワイドショーの街頭インタビューに酔っ払って答える新橋のサラリーマン、みたいなイメージが浮かびませんか? “普通に”勤めて結婚していて子どもがいて、住宅ローンを払い、仕事終わりには飲みに行けるような男性です。
でも今、そんな人が決してマジョリティなわけではないですよね。結婚していない人も多いし、子どもがいることも今や普通ではないのに「新橋のサラリーマンが普通」といわれると、そうでない男性は生きづらい。それが社会問題となって、男性学にスポットが当たるようになっています。僕自身も、この数年でメディアの取材を受けることが多くなりました。