ラーメンを食い終わるまでに、どんな価値が生まれている?
僕はラーメンが好きです。自分の好みにあった美味しいラーメンを食べるために、遠出することもあります。そのときの流れを以下に記してみました。
1.まず、日本中のラーメン屋の評価を事前に調べます。
2.口コミの評価をもとにラーメン屋をある程度リストアップし、その上で味やメニュー、店舗や立地などを細かく調べて、行きたい店舗を決めます。
3.行き先が決まったらあとは行動のみ。場合によっては何時間も費やして目的の店舗を訪れ、たいていの場合行列があるので順番が来るのを気長に待ちます。
4.順番が来て着席し注文。着丼後にようやく、食べることができます。一口食べて美味しかったら並んだ甲斐があったな、などと言ったりします。
5.とても満足して、食べ終わったらお代(800円くらい)を払います。
6.その経験を翌日仲のいい同僚に話したり、お店を教えたりします。
この流れを、ラーメン屋の視点からマーケティング活動として捉えた場合、僕とラーメン屋が交換したものは何で、その交換はどのような価値を生んだでしょうか。
ラーメンの代金(800円くらい)に加え、並んだ時間やラーメン屋までの移動費や時間、さらにいうと下調べの時間や手間、これらが僕の交換しているものです。それにより僕は、満腹感と満足感、いい店を見つけたというちょっとした優越感をラーメン屋さんから得ています。
もちろん、このラーメン屋には僕以外にも多くのお客さんがいるので、その数だけ様々なものが交換されています。その度に多くの満足(場合によっては不満)や優越感(場合によっては失望感)が生まれているわけです。
CPAだけ追いかけることの弊害
これこそまさに、コトラーの価値を創造する交換過程そのものだ、ということがおわかりいただけましたでしょうか。そして、この交換過程で喚起されるものは行動だけではないことがわかると思います。
つまり、このプロセス(交換過程)で生み出された様々な行動は、創出された価値を構成する一つの要素であり一部です。ですから、その一部のみの最適化を図るのは必ずしも正解とは言えません。たとえば、デジタルでCPAだけを追いかけ続けていると、行動以外の何かを毀損する可能性もあります。
ラーメン屋の例で言えば、たくさんの人で行列ができているのだから、席数を増やし、オペレーションを最適化することでラーメンの提供時間を早めることができれば、お客さんの待ち時間は減るし、時間あたりの収益を増やすことができる。いいことづくめだと、考えるかもしれません。
結果、もたらされるものは行列がなくなったことにより何かしらの価値が毀損され、以前ほど注目されるお店ではなくなった、なんてことは容易に想像がつきますよね。
行動の最大化を目的にCPAという指標で最適化を図ることのリスクは、ここにあります。