グランプリ作品は「もう元には戻れない」転換点をつくった
――細田さんが審査員を担当したイノベーション部門のグランプリ作品「MouthPad^」についてはいかがでしょう?先程のアクセシビリティが含まれる作品ですね。
MouthPad^はMIT(マサチューセッツ工科大学)から始まったスタートアップAugmentalが開発したデバイスです。これまで、両手が使えないハンディキャップがある人たちは物を操作するために音声認識や、口にくわえるマウススティックを利用してきました。しかし音声認識は飛行機の中や授業中は使えませんし、スティックは口腔内に大きな負担がかかり、歯が折れてしまうこともあります。こうした不自由を解決するのがMouthPad^です。マウスピースの形状をしたデバイスで、上顎にはめて口の中で舌を動かして操作します。
テクノロジーも素晴らしいのですが、それだけが評価されたわけではありません。大事なのはやはりクリエイティビティの部分です。技術がどう生活を変えるのか、ユーザー体験を変えるのか。変化を明確に伝えるストーリーテリングも重要です。
MouthPad^が秀逸なのは舌を「11本目の指」と捉えたこと。指は非常に敏感で繊細な動きをする器官です。指でなければできないことがたくさんある。MouthPad^があれば、今までとは違う次元になると語っているわけです。絵を描いたり、難しいゲームを操作したり。さらに、コンセプトムービーでは女性が「マスターベーションが自由にできるようになった」ことも語られていました。解決を超えて人を解放する、というストーリーテリングが審査員の支持を集めたのです。
また、イノベーション部門は10分間のプレゼンテーションがあるのですが、このデバイスが出てきたら、もう元には戻れなくなるだろうなと感じました。イノベーションにとってこの感覚は非常に大切です。たとえば、ポストイットは「のりがついた紙」ですが、アイデアをみんなで生み出すツールとして1回使えば、次からそれがないのが不便に感じますよね。
MouthPad^はそれに近い「転換点」になることを予感させました。まだアーリーステージでプロトタイプ段階ですが、先行体験者を公募して既に使用者もいますし、ある程度スケールすることが見えています。かつてgoogleの「アルファ碁」 がこの部門でグランプリを取り、その後、今に至るAI時代の始まりを告げたように、このプロダクトもグランプリで終わることなく、次のスタンダードになることを願っています。
イノベーションはPoint of No Returnをつくること
――イノベーション部門全体としてはどのような傾向がありましたか?
昨年から今年にかけてメタバースやWeb3、生成AIとテクノロジーの話題が相次いでいたので、それが反映されたサービスやプロダクトがたくさん出品されていました。一方で、残念ながら、創造性が見えない仕事も多かったのです。
イノベーションはテクノロジーではなくて、生活や行動など思考の変化をつくることです。これを審査中は「Point of No Return」という言葉で表現していました。先ほどにも述べたように「元の生活に戻れない」と思える転換点ををつくれているかが最大の論点。テクノロジーはあくまで手段に過ぎません。
MouthPad^は最先端のテクノロジーですが、他に評価された作品にはアナログなものも少なくありませんでした。たとえばP&Gの「Making Inaccessible Accessible」。洗剤パッケージのイノベーションですが、洗剤のパッケージは子どもが簡単に開けられないようになっています。けれど、両手が不自由だと大人でも開けられません。そこで、P&Gは大人ならば片手で挟んで開けられる紙製のパッケージを開発しました。
プレゼンテーションも印象的でした。「私たちのイノベーションがもう世界中に広まっています。その証拠に……」と、会場に一番近いスーパーで実際に洗剤を買ってきて、取り出して見せてくれました。いざ使ってみると使用感も素晴らしく、プラスチックの容器よりエコで経済的で軽い。これも一度使えば元には戻れない素晴らしいイノベーションだと感じましたね。