AIを目的や役割にそって“使い分ける”時代になる
藤平:前回THE GUILDの深津さんと対談した時、Chat-GPT4を使って「軽井沢に行きたくなるようなコピー」を作ってみたんです。深津さんが僕の横でプロンプトを打ってくださったんですが、いわゆる下ごしらえが長くて。軽井沢の魅力を100個挙げてください、良いコピーの条件を100個挙げてくださいみたいに指示をしていくんです。そうした対話の後に出てきたコピーは、やっぱり良くて。さっきの話でいうと「ああ、これが使いこなす能力か」と思ったんですよね。
清水:そうだと思います。最近おもしろいなと思った生成の使い方があって、複数の生成AIツールをまたいで活用するというような使い方もあるみたいです。たとえば、画像生成AIに作ってもらいたいクリエイティブがある時、画像生成AIにどのように指示をすればいいかをChat-GPTにコンサルしてもらって、そこで出てきたプロンプトを画像生成AIに入れると、イメージにより近いものが出てくるそうですよ。

藤平:「AIの使い方をAIに聞く」というメタ構造に若干の怖さを感じつつ、一方で「それは人間にしかできないことである」という風にも感じました。はたまた、自分が初めてキャッチコピーを書く時、同期のコピーライターに「オススメの本ある?」とか「まず何してた?」とか聞くあの感じと同じことをするだけなのかも、というようにも思えますね。構造的には、昔から近いことをしていたのかもしれません。
清水:たしかに、そうですね。前回の記事を読んで、言い得て妙だなと思ったのは、深津さんが「新しいチームメンバーが増えると思ってAIを使えばよい」とおっしゃっていたところで。Chat-GPTにはChat-GPTなりの専門性があるし、アドビの生成AI「Adobe Firefly」にはAdobe Fireflyならではの専門性があるから、目的や役割を踏まえて使っていけばよいのではと。
藤平:なるほど。となると、「多種多様な生成AIを使いこなすのがとにかく上手い人」が、市場でめちゃくちゃ評価されるフェーズがいったん来そうです。そこを目指すべきなのかという話はありつつ。
人間は「感じて」「考えて」それを「伝える」ことが重要になる
藤平:ちょっと話を変えますが、ここ1年ほど大きなプロジェクトをリードする立場にありまして、備忘を兼ねて「日記(に満たないメモ)」を書いていたんです。今までそういうことをしたことがなかったんですが、1年ちょっと書いた感想は「日記はアウトプットではなく、インプットである」ということで。書くことによって忘れなくなるので、企画やディレクションの際に思い出すふとした出来事や感情が明らかに増えました。
人間もAIも基本構造は同じで、学習したこと/体験したことからアウトプットしていくわけじゃないですか。で、そうなると、実は(これからの)人間一人ひとりの価値って「持っている感受性と、してきた体験が異なること」なんじゃないかなと思いまして。その時に日記でもXでもいいんですが、それを記録しておいて取り出せるようにしておくことって結構大事だなと思ったんですが、どう思いますか(笑)?

清水:それは本当にそうだと思います。体験だったり、そこから沸き立つ感情や感性こそが大事ですよね。一例ですが、絵ハガキが届いた時もじっくり見るのはきれいな写真が載っている表面ではなくて、裏面に人が描いた旅の思い出やイラストだったりするじゃないですか。結局、人が求めるのは想いやストーリーの部分ですからね。
生成AIで生み出された創作も、ビジュアルとしての完成度より、なぜその創作にいきついたか、というところが気になるところで。だからこそ、日頃から感覚や体験を記録して取り出せるようにしておくのは大事そうですよね。いいですね、日記。
藤平:そう考えると、0→1を作るところと、ある程度のレベルのものを100にするところはきっと代替されない。代替されないというか、AIと人間は共存して、それぞれ違うアウトプットを出し続けられる。これまで経験してきたあらゆる体験や感情から掛け算をして、それぞれの0→1を生み出す、そしてそれを自身の感性に沿って100に仕上げるということが、クリエイティブワークになる気がしました。それはきっと、完璧なものではなく、何かしら不完全なものなのだと思いますが、それが魅力になっていくというか。
清水:僕も最近、より人間を強く感じられるものに意識がすごく向いている気がしています。舞台しかり、ラジオしかり、“人”をリアルに感じられるところに心が動いていて、自分もそういうコンテンツを求めている気がするんです。
藤平:ひとまず正解だろうというものが何でも即答でレコメンドされるこの時代に、不完全さや不具合さ、ノイズをも含めて一回性がある“リアル”に価値を求めるようになるわけですね。
そうすると、生成AIを使うスキルというのも目先では恐らく重要なのですが、いずれはそのスキルさえも平準化していくと想定すると、やはり0→1を生み出す力をつけることがクリエイティビティを磨くことだなと。感受性を磨き、それを記録しておくほうがいいのだろうと改めて思いました。
清水:これから人に求められてくることは、根元的な着想の部分とCo-pilotとして生成AIをディレクションする部分とがあり、後者は学ぶ手段が既に用意されていると感じます。AIの使い方を学ぶ時間と不完全なものと向き合う時間、どちらも大事にしていきたいですよね。