うまくいかないときは、引き戻す。「ゲート」の役割とは
長:「次回購入意向」も定量的に見るだけでなく、「なぜ」を深堀りして定性的に理解することが重要ですよね。データに対し意思を持って見てみると、顧客の差が見えてくることがあります。アサヒビールには、顧客インタビューなどのデータからインサイトを導き、そしてそれが正しいかを検証する型などはありますか。
松山:基本の型は一応作っています。ただし「本当に正しいか」の検証は、状況に応じて確かめていく必要があると考えています。
最初から型を決めると、引き戻せなくなることも少なくありません。「せっかくここまでやってきたのに、いまさら戻れない」と。マーケティングを含め、事業の失敗のほとんどはここに起因するのではないかと考えています。
長:「これで駄目だったら、引き戻そう」とブレーキをかける仕組みはありますか。
松山:次の段階に進めるかを判断する「ゲート」を入れています。ゲートと言うと「足きり」のように聞こえるかもしれませんが、目的はイノベーションを起こすことにあるため「イノベーションゲート」と名付けています。敗者復活の可能性も大いにあるというスタンスです。ポイントとなるのは、早く・安く・賢く失敗することにあります。
基本的にゲートにかけることなく進めることはしません。なぜなら、声が大きい人の意見だけが通る組織にはしたくないからです。様々な人が検証を行うことを大切にしています。
長:それは非常に重要なポイントですね。「始めてしまったから進める」では、ビジネスとしてのリスクが高まります。御社のゲートでは定量面と定性面のどちらで判断しているのでしょうか。
松山:基本は定量面で判断しますが、状況に応じて定性面を重視する場合もあります。
長:定量面で見るとゲートを通せなくても、定性面では今後大きくなる可能性があるアイデアなどは、まずは一気に進めてみて、通常とは異なる段階でゲートにかける場合もありそうですね。
発売日直後に品切れ!常識を覆した生ジョッキ缶
長:ここまで、顧客中心のマーケティングを実現するためにアサヒビールが行ってきた取り組みをうかがってきました。具体的な事例を教えていただけますか。
松山:お客様の心を動かし、新たな市場をも創出した点では、2021年発売の『アサヒスーパードライ 生ジョッキ缶(以下、生ジョッキ缶)』が挙げられるでしょう。フルオープンの蓋を開けると、きめ細かい泡が発生し、飲食店のジョッキで飲む樽生ビールのような味わいを楽しめます。「ビールに新たな価値は生まれないだろう」という常識を覆し、発売日直後に品切れになるほど注目を集めました。

長:私もしばらくの間、手に入れられませんでした(笑)
松山:反響を受けて今は生産が追いつくようラインを確保していますので、気軽にお楽しみいただけます。
生ジョッキ缶は、普段からビールを飲む人はもちろん、ほとんど飲まない人にも購入いただいています。詳しく見てみると「面白そうだから、試しに飲んでみよう」と心を動かされた方が多いようです。中身はスーパードライですから、パッケージイノベーションで新たな市場を創出できたことになります。まだまだできることはあると確信しました。
長:最初からビールをほとんど飲まない人の心を動かそうと考えていたのですか。
松山:いいえ。実は、生ジョッキ缶は元々過去にボツとなった技術を組み合わせて作った商品です。ビールを飲まない人に市場を広げようと作ったものではありません。
プロトタイプとなる缶ビールを開けたとき、今までの缶ビールでは感じたことがない、鳥肌が立つ感覚を覚えました。一人の消費者として、そしてアサヒビールのマーケティング本部長(当時)として、初めて缶ビールで心が大きく動いたことを感じました。私自身がN1だったのです。

松山:実際に商品化するには、大量生産するための技術やリソースの確保など、様々な壁が立ちはだかりました。それらを乗り越えられたのは、やはり「お客様を真ん中に」することを社内全体が大切にしていたからです。
検証のためお客様に生ジョッキ缶を開けた瞬間を1on1で撮影させていただき、その心が動く瞬間の様子を営業会議で共有したことがきっかけとなり、社員のモチベーションが一気に上がりました。そこから協力を得られるようになりました。お客様の様子を見て、社員自身の心が動いたのです。
このように消費者の心を動かすためには、社員、そしてビジネスパートナーの皆さんの心を動かす必要があります。