個人のメンタルヘルスは社会的義務に
マーケティングやブランディングの世界は日々変化しています。本連載では、私がグローバルの広告代理店で働く中で触れた新しい潮流を、事例やデータを交えながら発信していきたいと考えています。今回のテーマは「メンタルヘルス」です。
企業は以前よりもメンタルヘルス対策に注目しており、生活者もストレスを溜めない生活をより意識するようになりました。その背景には、今まで個々人の問題とされていたメンタルヘルスが、現在では社会の課題として認識され始めていることがあります。
とりわけ注目すべき点として、精神的に健康でいることが「すべての人の社会的義務」のように考えられるようになってきたことも挙げられます。現代では精神的に健全であることは健康の一部と考えられ、個々人に対して、社会というコミュニティーに参加する一員として、社会全体に悪影響を与えないように、心身ともに健康であることが強く求められるようになりました。
近年話題になった「ジョーカー」という映画。主人公のキャラクターが、ある種の共感性を持たれ、世界中で人気を博しているのは、このような「幸せでなくてはならない」という社会的圧力を反映しているように思います。
実際に心の悩みを持つ人は増加しています。少し前になりますが、WHOは全世界で8人に1人がメンタルヘルスの問題を抱えていると警鐘を鳴らしました(出典:WHOニュースルーム「Mental disorders」)。この割合を家族、友人、同僚など身近な存在に当てはめて考えてみると、この問題がより深刻に感じられるはずです。
さて、その興味関心が高まっているトピックスに対して、マーケティングやブランディングにおいては、どのように取り組んでいくべきなのでしょうか? 本記事では既に展開されているキャンペーン事例を取り上げながら、より深く掘り下げていきます。
事例1:バーガーキング - Feel Your Way
米国をはじめ世界の様々な地域において、毎年5月は「メンタルヘルス啓発月間」とされています。2019年5月にはバーガーキングもこの月間に合わせたキャンペーンを展開。その目玉として5種類の感情を名前にしたセット“Real Meals”を発売しました。
- Blue(悲しい!)セット
- Salty(イライラ!)セット
- YAAAS(嬉しい!)セット
- Pissed(むかつく!)セット
- DGAF(やってられない!)セット
メンタルヘルスの社会的課題の一つとして、精神的な問題を抱えた個人に対する周囲からの差別や偏見(スティグマ)が挙げられます。当事者の方やその家族が「自分は弱い人なんじゃないか」「病気が恥ずかしい」など、負い目を感じたり、肩身の狭い思いをしたりすることも多いです。このキャンペーンはそうした実情を踏まえ、「ハッピーを押し付けるのではなく、様々な感情に寄り添おう」というメッセージを社会へ投げかけています。
キャンペーンビデオには、陰湿ないじめに傷つく少女、自室で塞ぎ込む男性、上司への不満をぶちまける女性が登場。苦悩を抱えた人々のストーリーが描かれていきますが、終盤のカットで“No one is happy all the time. And that's OK.”(みんながいつもハッピーとは限らない。だから大丈夫。)と前向きなメッセージで締めくくります。
個人的には、「ハッピー」が付く看板商品を持つ競合を意識した皮肉が見事だと思いました。また、動画後半で少女がロッカーを思い切り蹴りつけるシーンには、人間本来の素直な感情の美しさを感じました。本当はそんなことしちゃダメですけどね(笑)。
少々古い事例ではありますが、各メディアで広く取り上げられたこのキャンペーンは、それまであまりオープンに語られることがなかったメンタルヘルスの問題について、人々が語り合う機会を創出しました。