次の環境へ進み、自分の殻を破っていく
西口:それにしても、大きな決断でしたよね。東京にいたのは何年くらい?
石谷:6年かな。これももう売却してしまいましたが、P&Gが当時買収したアイムスというペットフードの会社への出向の話があって、産休明けと同時に東京勤務になりました。
4年くらい経つと大体上司と「次どうする?」という話になりますが、当時の私はマスマーケティングのP&G商材とは全然違うペットフードの売り方にも、会社のカルチャーの違いにも苦労して、その分すごく成長したなという実感をもっていました。ここでもう一段ステップを上がるには、また違う環境で殻を破る必要があると思っていて。
西口:で、旦那さんを日本に残し、子どもを連れてアメリカへ。
石谷:下の子はまだ小さかったけど、上の子には少しずつ「アメリカ……行くかもよ?」って言って(笑)。当初は2年の予定でしたが、その間に組織変更などもあって、都合7年いましたね。その後1年、シンガポールで勤務してから、日本に戻ってきました。
西口:なんていうんだろう、それぞれの分岐点で、進む道と選ぶ理由がすごくクリアになっている感じがしますよね。フィットする選択肢が挙がるのは、P&Gの「人材を社内で育てるんだ」というコミットメントが並大抵じゃないことも大きいと思うけど、でもやっぱりそれも石谷さんの意志ありきなわけだから。誰か、働く女性のロールモデルっていたんですか?
石谷:いえ、この人というのはいないですね。というか、女性だから、という風にも思っていないかな。先ほどの私の背中を押してくれた上司たちは、こんな素敵な人になりたいと、その上で仕事を通してそういうリーダーになりたいなという存在でしたが、彼らのキャリアを踏襲しようと思ったわけではないし。

「続けるにはどうするか」という観点で組み立てる
西口:一人のモデルはいない、ということですかね。
石谷:そうですね。元々、人に語れるビジョンや目指すポジションがあったわけではないし、自分なりに積み重ねてやってきたという感じです。ブランドが変わると消費者もビジネスモデルも変わって、その都度おもしろいことができたし、ひとつできたら「あ、次もできるかも」という感じで。
ブランドマネージャーからカテゴリーマネージャーになると部下の人数も増えて、こんなに仕事の質が変わるんだとびっくりしたりもしましたね。自然と、早くに退職する選択肢はなくなっていたから、「仕事を続けるにはどうするか」という観点ですべてを組み立てていたと思います、プライベートも含めて。
西口:実際、役職が上がると忙しさも厳しさも段違いだし、深夜や早朝に海外との電話会議があったりするし、子育てとの両立は相当ハードだったと思います。アメリカでは給料がほぼシッター代に消えていた、とも言っていたよね。
石谷:そうでしたね……! アメリカはシッターを雇う人も多かったし、それこそ女性が役員レベルだったら旦那さんが主夫というケースも珍しくなかったですね。でも、これも自分なりにということだけど、家族は大事にしていました。
夕飯はなるべく私が作って一緒に食べてから仕事に戻るとか、出張のときは当時走りだった宅配弁当を子どもと一緒に選ぶとか。私は娘たちに働いたほうがいいとか言ったことはないんですが、最近「自立したいから絶対仕事を続ける」と言うので、彼女たちのロールモデルにはなっているのかもしれないですね。私のこと、どう思っているのかはわかりませんが(笑)。
後編では、引き続き日米の働き方やキャリア観の違い、ダイバーシティへの対応について、またUCCでの役割などを詳しくうかがっていきます。お見逃しなく!